差出人「山田大記」で幻のシャインマスカットが自宅に届く時。それはジュビロ磐田の背番号10、山田大記がヤマハのピッチに復帰するという、静かなる合図だった。
2017年、彼の明治大学時代のチームメイトである廣木さんの紹介で出会うまで、外から見ていた山田大記は「スマートな天才プレイヤー」そのものだった。
プロ入り一年目の彼がヤマハで見せた輝きは、かつて小学生時代に受けた衝撃とリンクしていた。小学6年生の時、ジュビロスクール引退壮行会で行われた各スクール総当たり戦。浜北スクールに、1学年下の5年生でありながら、これまで見たことがないプロ顔負けの強烈なミドルシュートを放つ選手がいた。「スポーツならば誰にも負けない」という自負があった当時の自分が、唯一衝撃を受けた相手。今思えば、あれが山田大記だったのかもしれない。
しかし2017年に出会い、実際に対峙した彼は、天才というパブリックイメージとは裏腹な人間だった。プロ選手として「できる」ようになるまでに時間がかかる自身の身体に対し、誰よりも向き合い続け、泥臭く積み重ねる努力家だったのだ。
誰よりも時間がかかるからこそ、工夫を重ね、思考を巡らせる。そうしてようやく「できる」に到達した時には、誰よりもその応用を身につけ、「型」として深く身体化させている。だからこそピッチの上では、あたかも最初からできていた「天才プレイヤー」のように映るのだった。
プロになった彼が怪我をする時の多くは、現在に起因するものよりも、学生時代のトレーニング論による癖や名残りから来ていた。それは、彼がどれだけ真面目に学生時代を過ごしてきたかの証左でもあった。だからこそ、自分をはじめ多くの人が「彼の力になりたい」と引き込まれていったのだ。
「できない」というスタートラインを多く経験しているからこそ、人の痛みや気持ちへの解像度が高い。それが、社会起業家としての今の仕事にもつながっている。
多分、多くの人は「できる」に最速で到達する人を天才だと誤解しているのだと思う。だが、外から見て天才に見える選手の多くは、山田大記のように「できない」時間が誰よりも長かったりする。その時間に向き合う中で工夫や思考を重ね、一つの動きの中に多層的な意味を内包させ、「型」へと昇華させている選手こそが、真の天才なのだ。
彼ら、彼女達に共通しているのは、「できない」ことから逃げない姿勢だ。人が直視しない、向き合わないことに対して常に自身に問い続けるからこそ、新しい何かが生成されていく。
だからこそ、NPO法人や基金を設立し、まだ支援が届いていない誰かのために動く社会起業家という生き方は、彼の人生にとって最良の選択だと思う。
今後は、彼と同じように向き合い続けてきた後輩選手たちが、その後に続いてほしい。プロ選手として培った身体化された文化資本や社会関係資本を、引退後に地域や子ども達へ還元していく。それが「プロ選手の先にある憧れの未来」となるよう、その形を今後も彼と一緒に模索していきたい。
そうした彼の現役時代において、繊細に鍛えるトレーニングは自分の領域だった。
コンマ1ミリの重心や角度の違いから、身体の奥へ奥へと共に潜入していく作業。
続いていた怪我に対して、「怪我をした試合の時の身体のシルエットはこう」「脱力しすぎている時と、脱力してはいるがハリ感や身体のつながりがある時の違い」「腱を筋肉よりも優位に先行させてから練習やトレーニングに臨むこと」。
山田大記との日々によって、どうすれば肉離れなどの怪我を予防できるのか、そこからの改善、回復を促進できるのか。たくさんのことを学ばせてもらった。
その中で迎えた2024年シーズンは、長いトンネルの先に、ようやく光が見えたシーズンだった。
「こうした身体の状況をつくってトレーニングをし、試合に臨めば怪我の確率を大幅に下げられる」という、山田大記専用の解に辿り着いたシーズンだった。「繊細さの中で積み上げた今だからこそ、来年の2025年は大きな勝負ができる」
無数の仮説と検証、失敗と修正の末に導き出された確かな手応えの中で、怪我もほぼない2024年から、また大きく飛躍する2025年をイメージしていた。
「2025年シーズンは、100%、もしかしたら120%。今まで以上にスマートでインテリジェンスな天才プレイヤー・山田大記が見られるはずだ」
そう信じて疑わなかった。ようやく本当のスタートラインに立てる。怪我との戦いを終え、純粋にサッカーのパフォーマンスだけを追求できる日々が戻って来る。何よりも、2025年のジュビロ磐田には、山田大記という精神的支柱であり、最高のテクニシャンが必要不可欠だと、試合を見ていても確信していた。彼がいるピッチといないピッチでは、選手全員の躍動がまるで違うのだから。
2024年は「解決の年」であり、2025年は「飛躍の年」になる。しかし、そうした自分の青写真とは別に、山田大記にとって2024年は「決断の年」となってしまった。
2024年11月後半、1通のLINEが入った。
「今年で引退することにしました」
そのメッセージを見た瞬間、時が止まった。数年前に「引退するのはジュビロと決めている」という話を聞いていた自分にとって、どんな言葉を返そうとも、その決意が覆らないことは痛いほど分かっていた。
だから返事は、残る試合に少しでも集中できるように、そして未来への希望を込めて、あえて短めに綴った。
「お疲れ様です。今年もここぞの時のゴールありがとうございました。シーズン後半は途中出場が増えましたがスタジアムの雰囲気が変わるのが伝わってきました。
アントラーズ戦のゴール現地で観れてよかったです。
先日300試合グッズサイトから予約しました。
引退は寂しいですが、プロ選手としての経験を社会に還元する姿、そして子どもたちの未来も含め、今後がいっそう楽しみです。」
ジュビロ磐田というクラブにすべてを捧げ、そこで現役を全うする。その覚悟は共有されていた。だからこそ、このメッセージが意味する重さを、誰よりも深く理解してしまった。「引退を止めるということはない」。けれど、「ようやくここまで来たのに」という無念さが胸を締め付けた。
ようやくここからがスタートライン。そこからの輝きを夢見ていた2025年シーズンを、見ることなく終わってしまうのか。
その喪失感は、サポート側としての「敗北感」に近いものだった。
引退セレモニーとなった2024年11月30日、FC東京戦後。引退の理由の一つとして山田大記の口から語られた言葉。
「自分はJ1基準でやれるフィジカルではなくなった」
この言葉ほど、自分の力不足、責任を強く感じる言葉はなかった。彼に「そう言わせてしまった」自分が、とても情けなかった。
もちろん彼の言う「J1基準」とは、一般的な基準ではないことは理解していた。単に試合に出て強度負けしないということではない。「試合を支配し、違いを生み出し、チームを勝たせること」こそが、ジュビロの10番としての彼の最低基準だったのではないか。「やれるか、やれないか」で言えば、間違いなく「やれる」。しかし、「圧倒できるか」と問われた時、彼は「J1基準」ではないと判断したのだ。
ジュビロ磐田のプロサッカー選手・山田大記と、40歳までともにいる。それを信じ、そのための長期的な設計図(ロードマップ)を描いていた。しかしながら、実際の引退は36歳。この「失われた4年」の重みが、心に深くのしかかる。
山田大記の競技人生を伸ばすことができなかった自分に、何が足りなかったのか。「J1基準のフィジカル」として失われたものの正体は何だったのか。日々考え続ける中で、元日本代表であり、技術への探求心とフットボールIQが群を抜いて高い西大伍に「今年の合宿は一緒に参加したい」とLINEをした。
「引退は、もっと先だと思っていた選手が、引退をしてしまう。その現実に直面した時、今年の西大伍の合宿には、自分は参加しなければいけないと思った」
それは、現役プロサッカー選手・西大伍との時間を今一度つくりたいという気持ち。そして、引退する山田大記の面影を、この過酷な世界で生き残った西大伍の中に探し求め、学ばなければいけないという、切実で純粋な動機だった。
合宿の時、西大伍は自信満面な笑みで「今が1番サッカーが上手いです」と言った。その言葉に偽りは一切なく、他の選手達とのトレーニングやコミュニケーションから、鹿島・神戸時代を知る自分も「その通りだ」と思わずにいられない能力の高さを目撃した。
西大伍との合宿、そして彼らとの濃密な時間を通じて、山田大記が語った「J1基準のフィジカルとしてなくしたもの」の正体が、ようやく解像度高く見えてきた。
西大伍合宿をスタートに、2025年はパズルの最後のピースを埋めていく一年になった。
「本当にいつも、悔しいことに、敗北とか引退とか、そういう時にしか本当のクリエイティブは生まれてこない」
京口紘人に世界タイトルマッチで敗れた2019年10月。寺地拳四朗に世界タイトルマッチで敗れた2021年4月。そして、山田大記引退後の2025年。
いつも悔しいことに、本当に届けたい当事者の選手が敗北したり、引退した時にしか生まれない理論やトレーニングが存在する。
成功している時、順調な時には見えない景色がある。どんなに本気で必死で世界一を目指していても、世界タイトルマッチでの敗北や引退という取り返しのつかない失敗、二度と戻らない時間。そうした不可逆的な喪失を経験した直後にしか、たどり着かない時間がある。なぜダメだったのか、何が足りなかったのか。その自問自答の果てにしか、悔しいことに生まれないものがあるのだ。
2025年8月。ついに私は、「山田大記が語った『J1基準のフィジカルとしてなくしたもの』の正体」と、それを超えるためのトレーニングが何なのかに辿り着いた。真っ先に彼に連絡を入れた。
そのトレーニングを数分行った後に彼がランニングをした瞬間、現役時代の一番パフォーマンスが高かった時のランニングの角度、重心の位置がそこに現れた。
「このトレーニングに現役時代出会ってたら、あと3年は現役できましたね」
山田大記から発せられたその言葉は、とても嬉しくもあり、同時にとても悲しくもあった。けれど、嬉しさの方が勝っていた。
プロサッカー選手としての山田大記、西大伍。彼らからもらった財産は、彼らの後輩選手たち、これからの選手たちに継承すべき知見として形式化できた。それは本当に彼らがいてこそだった。
プロサッカー選手・山田大記が遺し、刻まれた教訓は、「怪我をしない身体」を作るだけでなく、「選手が引退の瞬間までJ1基準で戦える身体と心」を作るためにある。
山田大記と共に共有された悔しさは、次世代への継承へと昇華していく。
自分の仕事の一つは、選手の身体と日々を通して、共に歩んだ選手と、未来の選手や子どもたちを繋ぐ「媒体」。
トレーニング後、山田大記くんと車内でこれからの未来について、夢について、たくさん語り合った。
夢を語り合う幸せをいっぱいに感じたその車内で確信した。プロサッカー選手・山田大記以上に、現在の山田大記は、それ以上の輝きを見せてくれるであろうと。そんな未来が、たまらなく嬉しくなった。
今回、下記の記事を読んでどうしても看過されて書きました。是非下記の記事も読んでみてください。
宮崎要輔
Jリーガーは“残った時間”をどう使うのか――元ジュビロMF山田大記、引退前の18日、引退後の1年 #Yahooニュース #スポチュニティ
