一本歯下駄を履いて歩いたり走ったりしながら思う…安定と不安定について。
現実問題として、人は安定を求める…経済的な意味でも物理的な意味でも…。
なぜか…?
安定にはプラスのイメージ、不安定にはネガティブなイメージがあるからだろうか?
安定は安心、不安定は不安…?
個人的にはそうは思いたくはない。
だからと言って不安定なのがいいという訳でもない。
本来理想とすべきは、ニュートラル(中立的)な立ち位置。安定と不安定の間(はざま)にいること。だが、それはじっとしている訳ではない。
静止した状態は安定しているように見えるが、実は居着いた状態。武道では「居着く」というのは隙(スキ)が生まれる瞬間…敵に攻められたら一本取られるであろう場面。
動きながら居着かない。攻めながら守り守りながら攻めることができる状況。
事故が起こる時というのは一瞬の隙を突かれる時。わずかの瞬間、大切なところから目を離した時、気を抜いた時。
かといって、ずっと気が張り詰められた状況を維持し続けていると疲れるだけ。
リラックスしつつ、気を緩めず、一点を見ながら全体を見渡せること。
一本歯下駄で悪路を進んでいる時も実はこれと似た状況と言っていいのだろう。
絶えず気が張り詰めた状況では体もガチガチになって、一瞬躓いた時に転倒が起きる。
リラックスして体(特に上半身)が柔らかい状況であれば、転んだ瞬間に宙に舞い、全身の力を抜き切って空中で体勢を整えて再び着地する。
まるで京の五条の橋の上で弁慶と闘う牛若丸のようではあるが、鍛錬を続ければそんなことも可能になるのだろう。
転ぶことを恐れていると必ず転ぶ…これは大人になって固定観念や既成概念で頭が凝り固まった人ほど起こりやすい。
むしろ、転ぶかも知れない(けれど転倒さえも楽しもう)…と考える無邪気な子供の発想があれば転ぶ可能性もなくなっていくのであろう。
不安定を恐れるのではなく不安定を楽しむ。
安定について考える以前に、その両極を見極めながら絶えずスライドしながら移動するということだろうか。
拡大解釈するなら、宇宙と個人、生と死、陽と陰、光と闇、動と静…相反するものの中間でのんべんだらりとする感覚…
私個人にとっては、一本歯下駄はゆったりまったりを楽しむものになってきている。表向きにはトレーニングツールとして紹介しつつも、使う当人は凝り固まらず、身も心も柔らかくいられるように…。
不安定と安定の間(はざま)では、どんな状況をも快く心地よく受け入れられる寛容な気持ちがあればすべてうまく行く…というのが私個人の結論だ。
転ぶ時には潔く(流れに逆らわず)転ぶ…そこにもまた何らかの意味や理由があるのだろうから。
人生、長く生きているといろんなことがあるし、そういったいろんな経験を積むのもまた自分自身をニュートラルに保つためには必要なことなのだろう。
一本歯下駄からはまだまだ学ぶべきことがある。
一本歯下駄を通じての出会いや発見、気付きや学びを引き続きこちらでまとめて行こうと思う。
*YouTube動画リスト:一本歯下駄〜One-Tooth Geta
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*ライター:
株式会社GETTA認定アンバサダー
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」を走るアドヴェンチャー・ランナー 高繁勝彦
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