一本歯下駄を履き始めた頃、転倒しないようにできるだけ平坦で凸凹のない道を選んで歩いていた。
それでも、不意に、街なかの点字ブロックや小石などに歯が乗り上げてグラッと来てしまう。運が悪ければ転倒する。
足首も硬かった(足首サスペンションはまだ未発達であった)し、足の裏センサーも未熟(路面を読むことはまだ不可能に近いレベル)であった。
平坦で凸凹のないアスファルトに少し飽き飽きしていた頃に、一本歯下駄で山を登ろうという考えが浮かび、近くの金剛山に登った。
平らなところはほとんどない。がれ場やざれ場、ありとあらゆる凸凹道がそこにはあった。
登りは何とかなったものの下りのルートでは四苦八苦。石の丸い部分に歯が乗っかるとどうなるか?ボールの上に板を置いてそこに乗っかってバランスを取っているような状態。
足の裏のバランスセンサーが研ぎ澄まされて、足首サスペンションも常に水平を保つようにセッティングできていれば問題ないのだが、その当時は不整地を一本歯下駄で歩く(走る)ことにまだ慣れてなかったので全てがトライアル(=実験的な試み)。
しかし、それ以降、一本歯下駄であえて不整地を歩く(走る)ようにした。
路面を選ばない…というのはあらゆる路面に対応できるようにすること。
これには思い切った決断が必要だ。一本歯下駄を履いての階段の下りが嫌でエレベータやエスカレータを選択することが習慣になってしまうとずっと下りは一本歯下駄では降りることはできない。
嫌いとか苦手であっても避けては通れないのだとしたらその道を進んでいくしかないのである。
話は変わるが、広島県福山市鞆の浦出身の父は幼い頃、泳ぎを習得するために船で沖に連れて行かれたのだという。もちろん深さもかなりあって水底に足が届く訳もない。
そこでいきなり船から突き飛ばされ、手足をバタバタしながら何とか泳ぎをマスターしたのだそうだ。当時は何でもスパルタ式の教育。見た目や形より実践、そして質実剛健を目指すのが当たり前だった時代。
父の話では、その時、かなり水も飲んだし恐ろしい思いもしたけれど、自ら助かるために必死になることが最短で泳ぎを覚える秘訣だと今も信じているようだ(実際、私も小学校3年生の頃に同じように船から突き飛ばされた)。
必要な知識や技術は現場で学ぶ。これは確かに大切なことかも知れない。
「一本歯下駄で不整地(凸凹道)を転ばずに歩くにはどうしたらいいですか?」という質問には「一本歯下駄で山を歩いてください」と答えるようにしているが、冗談抜きでそれが正解だと私は信じている。
本来、山での修行のために作られたという異形の履物一本歯下駄。ならば、山で歩き走り(早駆け)するのが何よりも正解。
いつの間にか、この国では舗装路が増えたおかげで土の道がどんどんなくなってしまって、大きな街では公園の一部に人工の土の道がいくらかあるだけ。
シューズを履いて歩くのが当たり前となってしまった現在、家の中でも一日中ソックスやスリッパを履く人はいるし、仕事柄一日中シューズに足を閉じ込めたままの人も多い。
本来人は裸足であったことを時々思い出してみよう。一本歯下駄もあくまで人工物ではあるが、自然の素材でできているものなのでまだ良しとしよう。
土の温もりとか土の匂いとかを知らない人々が暮らすのが街。土は野菜や植物を育てるだけのものではないということを幼い頃から学ぶ機会すらほぼなくなってしまった昨今、今一度一本歯下駄で土の道を歩いてみては如何だろうか?
路面を選んで歩いていたら、逆に路面に選ばれてしまう。凸凹道に拒否されることのないように、普段から不整地に慣れ親しむのもまた楽しいもの。
*YouTube動画リスト:一本歯下駄〜One-Tooth Geta
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*ライター:
株式会社GETTA認定アンバサダー
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」を走るアドヴェンチャー・ランナー 高繁勝彦
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