一本歯下駄登山が(個人的に)ブームである。
たいていの方々が登山靴(トレッキングブーツ)で登っているのが当たり前。そんな中を鼻歌を歌いながら一本歯下駄で駆け上るのは快感でもある。
1300年前にもしシューズが存在していたら修験者たちは一本歯下駄を手放しただろうか?私はそうは思わない。
一本歯下駄で走るランナーはじわじわと増えつつあるけれど、まだまだ一本歯下駄で山を登る者はマイナーな存在かも知れない。
これまでの一本歯下駄での登山についてあれこれ気づいたことをまとめておきたい。
1)登山に適した一本歯下駄
一本歯下駄であれば何でもいいという訳でもない。何せ舗装された街の歩道と山道では明らかに異なる状況、起こり得るリスクについても考えておく必要がある。
全高は10センチ前後が一番適していると個人的には考える。最初の金剛山登山では約15センチの高さを履いていたが、重さも含めて小ぶりな一本歯下駄の方が取り回しは楽である。
高さを求めるのは構わないが、よほど熟練した者でない限り、15センチを超える高さの一本歯下駄で山に入るならそれなりの覚悟が必要である。
現在私が使っているのはARUCUTO製スキャッパ。
サイズ的には長さ22×10.5センチで、高さはソフトゴムとタイヤゴムを入れて約10センチ。
私の足のサイズは実質27センチでかかとは少しはみ出る。
足の甲とくるぶし部分を軽く固定するために専用ストラップを装着している。
特に登りの際、かかとが後ろにズレ落ちないようにするのと、足を持ち上げた際にかかとと下駄の台が離れてしまうのを避けるのが目的である。
*一本歯下駄専用ストラップの詳細はこちら
鼻緒は前坪のみパラコード仕様で、急激な力が加わっても切れないし抜けることもまずない。一般の麻ひもですげられた鼻緒は強度にやや乏しく、体重の重い方が登山やランニングをするのにはあまり適さない。
転倒の際に鼻緒の前坪部分に一番力がかかるため、恐らく体重の2〜3倍の力が鼻緒を引っ張ることになる。歩くだけなら大したことはないが、山道の下り等でこれが起こると鼻緒が切れたりちぎれたりすることも実際にあり得る。
タイヤゴムは自転車のものを使うが、信頼できるのはやはりパナレーサーのスーパーハード。それでも、夏場の舗装路を長時間走ったり、石畳やセメント舗装などが多い登山道では摩耗は早い。最近の山行では予備のタイヤゴムを持参するようにしている。
登りは一本歯下駄でも、下山は無理に一本歯下駄を履く必要もない。ワラーチやスポーツサンダルなど軽いものを万が一に備えて用意しておくのも賢明だ。
鼻緒は約3.5センチ径のオリジナル極太鼻緒。長時間歩き走りをするにしても疲れにくい。これは、鼻緒が下駄の重みを足の甲全体に分散させてくれるから。細身の鼻緒と比べてクッション性もあり足全体をすっぽり包み込んでくれるがゆえに疲労感が断然違う。
2)一本歯下駄登山の魅力・メリット
登りが格段と楽になるのは言うまでもない。シューズに比べて足首がリラックスできる上に、登山後の疲れ方が違う。急斜面が続く山道であっても筋肉痛はかなり激減する。だが、これはあくまでも一本歯下駄での歩き・走りが十分身についた上でのお話。
地面を蹴ることなく、平衡感覚を保ちながら重力に逆らわずに前進するという自然な移動ができればこれほど楽しい登山は他にないであろう。
ただ、木段(木でできた)階段の多い登山道では一本歯下駄のメリットが活かせないので要注意。
一本歯下駄で登山する人はマイナーな存在であるがゆえに、人々の注目を集めるし、他の登山者たちからもきっと声をかけられるはず。
「写真を撮らせて欲しい」とか「履かせて欲しい」といったリクエストもあるに違いない。街を歩いていてもそういったことがしばしばあるのが一本歯下駄。
一本歯下駄はコミュニケーションツールにもなりうる訳だ。
3)一本歯下駄登山のリスク・デメリット
言うまでもなく、不安定極まりない履物で山に入る訳だから、一番心配なのは登山中の転倒である。
過去に金剛山を一本歯下駄で登るイベントを企画して、数名が転倒を経験。
単なるかすり傷程度で済めばいいのだが、場合によっては捻挫や脱臼、骨折といった事も起こり得る。単独で滑落事故にでも見舞われたら遭難だってあり得る。
危険や痛みを感じたら、一本歯下駄を脱ぐこと…これは鉄則。何よりも安全と健康第一。無理や無茶はしないことだ。下駄捻挫という足の甲部分に起こる捻挫も実際友人が経験済み。鼻緒の当たる部分に骨が圧迫されて起こるものだ。
素足で一本歯下駄を履くにしても、(五本指や足袋)ソックスを履くにしても、シューズに比べて足が露出される訳で、岩場や石ころ・木の幹等に足の指をぶつけることもたまにある。落石があった時にも足に石ころが当たれば痛いだけで済まない場合もある。
登山時の路面も様々。乾いた土の道ばかりではないし、ザレ場(砕けた細かい石や砂利の道)もあれば、ガレ場(大きめの石や岩が転がった道)もある。
ぬかるんだ粘土質の道や泥の道などでは下駄の歯が埋まって往生するだろう。砂地の道も然り。歩く際に歯が傾くだけで一本歯下駄登山はストレスの元になる。
浮石と呼ばれる石に歯が乗り上げてぐらつく場面にも出くわすだろう。足の裏センサーを研ぎ澄ませて、路面の状態をことこまかにチェックしないと、ある瞬間に転倒する。
転ぶことを恐れてはいけない。転んでも笑顔で立ち上がればいいのだから。
頭の中に「転ぶ」というイメージがあればたいてい転ぶ。むしろ、楽しく笑顔で歩いている時には転ばない。不安や恐怖は一本歯下駄には不要である。
4)一本歯下駄登山の未来
将来、一本歯下駄で登山する人々が増えるかどうかはわからない。トレイルを走るランナーたちの中にもシューズを一本歯下駄に変える人たちがいるのは確かだ。
山を楽しむツールとして一本歯下駄が活用されるのはいいことだと思う。
本来、山を歩くためにつくられたものだから当然のこと。
トレイルランナーと登山者たちがつまらぬことが原因でもめるようなことがこれまでもあったという話だが(特に関東圏ではトレイルランナーのマナーの悪さが登山者に指摘されているらしい)、足元が一本歯下駄であってもシューズであっても、同じ山を楽しむ一人ということは忘れてはいけない。
私自身これまで、シューズ、一本歯下駄、スノーシュー、クロスカントリースキー、マウンテンバイクなどでいろんな山に入ってきたが、どんなツールを使おうとも山に入る時のマナーやモラルはいつも同じ。
他者の迷惑になるような行為をしないのは当然のこと。言うまでもなく、気配り・思いやりをいつも忘れない…エゴではなくエコな発想だ。
一本歯下駄登山を楽しむために、上に書いたことを含めて、一本歯下駄のあらゆる側面をしっかり理解した上で山に入るように努めたい。
どんなスポーツであっても、それを最初に始めた人と、それを流行らせる人・その流行に乗る人たちの間にいろんな思いの食い違いがあって、それがトラブルのもとになってしまったりする。
一本歯下駄登山を単なる娯楽やスポーツとしてとらえてもいいし、精神修行のための手段にしても構わない。
私個人としては、一本歯下駄登山という言葉よりも一本歯下駄「早駆け」というネーミングが気に入っていてそちらをしばしば使っている。
単なる登山とは異なった、何か神秘的・修行的な要素も含みつつ、謎に包まれたような言葉の響きがいい。
個人的には原始的な感覚で野性を取り戻したかのような気持ちで山に入っている。それゆえに、単独行が多い昨今。
*YouTube動画リスト:一本歯下駄〜One-Tooth Geta
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*ライター:
ARUCUTO一本歯下駄アンバサダー、
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」を走るアドヴェンチャー・ランナー 高繁勝彦
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