上の写真のようなスタイルでほぼ毎朝歩き走り(早駆け)している。
1キロ4分程度で走っているシリアスランナーから見れば、ふざけた野郎と思われているかも知れない。
周りの目などもはや氣にはしない。
今はこれが自分自身のスタンダードとなっているから…(笑)。
さて、本日はマシュマロのお話。
あの真っ白でぷよぷよ感たっぷりのお菓子である。
1991年にアメリカ縦横断自転車旅行中、キャンプ場でよく食べたローストマシュマロ。
アメリカのキャンプでは定番となっているらしいが、鉄の串にマシュマロをいくつか刺して、焚き火で炙(あぶ)る。狐色にこんがり焼けたらグラハムクラッカーに挟んで食べるというものだ(サモアとかスモアと呼ばれている:some moreがなまったもの)。
歩いたり走ったりする中で、特に足首を意識してみよう。
足首の関節がマシュマロでできているというイメージを持ってみる。
足首にかかるあらゆる衝撃を吸収できるフワフワぷよぷよのマシュマロがくるぶしの中にあると想像してみるのだ。
路面が凸凹でバランスが取りにくいと感じる背景にあるものは、路面の衝撃を膝よりも上で吸収しようとするから。
逆に、膝から下、特に足首で衝撃を吸収できたら歩きや走りは滑らかになる。
私が「足首サスペンション」と呼んでいるのがまさにそれ。
足首が硬い人のランは見ていてギクシャクしがち。舗装されたアスファルトの道ならわかりにくいが、トレイルなど凸凹だらけの道を走れば上半身がグラグラ揺れるに違いない。
逆に、足首の柔らかいランナーは、トレイルの下りが得意なはず。上下動が少ないスムーズな水平移動が可能になる。マシュマロのような足首がそれを可能にしている。
足首が硬いと転びやすい。路面のちょっとした突起物でつまづいたり、転んだりする。そんな人が底の厚いシューズを履いたりするとなお足首は硬くなる。
裸足ランニングがブームだから、ワラーチなどのサンダルランニングがいいらしいから…そんな流行に惑わされてやってみて足首を痛めるのも足首の硬いランナー。
本来、靴やシューズと言われるものを履かなかった日本人。明治以降、西洋から靴やシューズを履くという生活習慣が入ってきて、我々の歩き方や走り方はガラッと変わった(変えられてしまった)。
草鞋(わらじ)や下駄など鼻緒のある底の薄い履き物が定番だったはずが、200年あまりの間に私たち日本人の価値観はすっかり変わってしまった。
私自身、時々サンダルや裸足でも走るのだけれど、靴・シューズというものが不自然なものであるということをたびたび感じている。
足を密室に閉じ込めることで足の呼吸を妨げているというのがまず第一の理由。
趾(あしゆび)の動きには制限が加えられ、足の裏全体が一つのものとして靴にすっぽり嵌め込まれる。
本来、左右に5本ずつある趾(あしゆび)にもそれぞれ役割があるにもかかわらず、それが活かせないのも靴を履くことの弊害。
靴を履くことで足首も不自由になる。ブーツなどはその典型。
今、山を歩く人たちの大半は革製の重くて動きづらいブーツタイプの登山靴を履いている。これも欧米から取り入れられた文化なのかも知れないが、その昔、山を登る人たちは一体何を履いていたのだろう…考えてみて欲しい。
私は一本歯下駄で山に入る。登りは一本歯下駄。下りは場合によってサンダルに履き替えている。
足を守っていると信じられている靴が実は足の機能を損ねているというのも真実なのかも知れない。
ストレッチや筋トレも1980年代に日本に入ってきたものの、それ以降、アスリートたちの怪我や故障も増えていると聞く。
それらが悪いとは言わないが、やり方を間違えるといい結果にはならないというのも確かなことだと思う。
科学が全て正しいという人たちもいれば、科学は当てにならないという人たちもいる。
ある人がいいというものが別の人にはよくないものとなるケースも少なからずある。全て自分の頭で考え、体で感じた結果を大切にすることだと私は思う。
足首をマシュマロ化するというのも私の経験と感性が言わせている。
アスリートのみならず運動をしない方々も、高齢化して関節や筋肉の働きが衰えてきた時に、一体どう対応していくべきか考えておいて決して損はないだろう。
一本歯下駄を履いて、心穏やかに、笑顔で…
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*ライター:
ARUCUTO一本歯下駄アンバサダー、
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」を走るアドヴェンチャー・ランナー 高繁勝彦