宮崎要輔ブログ

一本歯下駄と文化身体論6

一本歯下駄GETTAの宮﨑です。ここでは、一本歯下駄について考えていることを『文化身体論の構築に向けて一考察〜伝承的身体の再現性に着目して〜』という私の修士論文(社会学)を順に追いながら綴っていこうと思います。

今回は、第6回になります。本論第2章2.1.文化身体の伝承的保存 2.1.1.能楽における伝承的保存性

2.1.3.仮想的界としての能楽

 

を追っていきます。

前回はこちら

一本歯下駄と文化身体論5

 

文化身体論の構築に向けて一考察〜伝承的身体の再現性に着目して〜

第2章 文化身体論の伝承と機能

 

前章では、身体文化論で語られてきた身体文化、身体技法の再現性が社会化されない構造は、西洋的価値判断で身につけたハビトゥス、西洋的価値観から起こる西洋化によるハビトゥスの再生産が存在していることを述べてきた。これを乗り越えるためには、価値判断の形成を組み替えるための界(Champ)が必要とされることを指摘した。これまで身体文化論で論じられてきた多くの実践は、この界が不在な中で実施され、論じられていることに限界があった。そのため、正しい姿勢を取ろうとする時、身体文化論に沿った、顎を少し上にあげ、肩は肩甲骨のひろがりで少し前に出ることよりも、真逆な、胸を張ることを重視するような判断となる。過去に身体文化論で語られてきた身体文化、身体技法を正しいと思っている実践者も、界が不在である限りは、西洋的価値観からもたらされる西洋化によるハビトゥスが再生産されていくことを述べた。

それでは、価値判断の形成を組み替えるための界とはどういったものであろうか。本章では、能楽を事例として論じていくこととする。

 

2.1.文化身体の伝承的保存

2.1.1.能楽における伝承的保存性

日本を代表する伝統芸能であり、舞台芸術である能楽は、600年以上前の中世からの身体文化、身体技法を型によって脈々と受け継ぐ身体文化が伝承的に保存されている界(Champ)である。そこで、能楽の伝承について矢田部は以下に論じる。 

 

「知人の能楽師から教えられたことがある。室町時代から五十六代も続く芸能を引き継ぐその人は、袴の裾をからげて筆者に脛を見せ、『この馬蹄形の彎曲があることによって、板の間でも脛が当たらずに、長時間坐っていられるのです。この脚の形は一代では作れません。私たちは永い歴史のなかで、この体型を作り上げてきたのです』ということを教えて下さった」(矢田部,2011:11)

 

さらに、社会学者の南果実は以下に述べる。 

 

「能役者の身体は、何世代にも渡る能にまつわる身体の記憶を伝承し、構造化していることにその特徴がある」(大野道邦・小川伸彦・南果実編,2009:40) 

 

能楽という界がいかにして型による伝承を徹底しているかについては、前述の松田が論じた話に要点が見られる。 

 

「師匠の元に入門して型を学びますが、その型についての質問は一切許されないそうです。型の意味を求めず、ひたすら与えられた型を繰り返す。そうすることによって、舞台の上で何百年前から繰り返されてきた型の意味が身体からにじみ出してくる。型に何百年も前から閉じ込められたものが舞台上で解凍され、観客に感動を与えることができるのです」(松田,2021:80)    

 

この松田の論から、能楽は、個人の主観が入り込むことを型の徹底により防ぎ、型の中に存在している言葉にできない意味を伝承していることが伺える。そして、能楽の身体技法は決して能楽という界に限定された身体技法ではない。南は能の構え、すり足は、日本の農業、宗教儀礼、武道などにおける身体技法を統合しており、能楽師は幾世代にも渡り伝承された身体技法を習得した「文化的・歴史的身体」だと論じている(2009:36-37)。

このように、身体文化、身体技法が型によって不変的に伝承されてきた能楽という界は、現代の西洋化された価値判断の形成を身体文化に沿うものとして組み替えるための界の代表例と考えることができるのではないだろうか。

 

2.1.2.能楽における身体技法

価値判断の形成を組み替えるための代表的な界としての能楽であるが、価値判断の基準として、能楽における身体技法が如何なるものかを紐解いていく必要があろう。能楽の代表的な身体技法は、腰を入れる構えとすり足である。これらを考察することで、能楽を通して伝承されている身体文化、身体技法をより明らかにしていきたい。

 先ず、腰を入れるという構えについてであるが、能楽研究者の松岡心平は、

 

「具体的には『腰の蝶番のところに緊張を集めて』立つことであり、『一本の線のように抽象化された歩きかた』である」(松岡,2004:225) 

 

と述べ、この構えがあるからこそ、すり足を可能にしているという。つまり、構えとは身体を一体化することであり、「すり足は身体を一体化していないとできない歩行の動きである」ということである。また、医学博士の立場から身体論を研究する佐藤友亮(2017)は、自著内で内田樹が論じたことは、能楽において、伝承が如何に徹底されているかを垣間みることができると述べる。

 

「この間、松岡心平さんにうかがった話ですけれども、能でも、今のような『構え』というものはなかったそうです。今は稽古のとき、立って、まず『構え』を作るところから始めるわけですけれども、昔は「構え」というようなものはなかった。ただ、立っただけでもうかたちができていた。能は中世の日本人の身体運用ですから、着物を着て、床に座って暮らしている人なら、どういう所作をしてもさまになる。でも、近代になって、洋服を着て、靴を履いて、椅子に座る生活をするようになったら、その生活での自然な構えではもうかたちにならない。だから、胸を落として、股関節を解放して、膝と足首を少し曲げるという『構え』を意図的に作らないといけなくなった。この場合は『中世日本人の身体』を教えるために型が存在するということになります」(佐藤,2017:213)

 

能楽において代表的な身体技法である「構え」は、中世の人々における自然の構えであったというのである。そして、時代の移り変わりの中、人々の自然な姿勢が中世の姿勢ではなくなった際に「構え」という型が生まれたのである。

さらに、「すり足」の源流について松岡は「構え」と「すり足」を一体のものと考えた際の可能性として剣術からの由来を論じ、能楽と剣術の交流についても紹介している。

 

「禅鳳以来、金春家代々には武芸の嗜みがあったようで、この中から、柳生石舟斎から兵法の極意を授けられる金春氏勝のような武芸者が出たのである。金春家のみならず、室町時代の一線級の能役者が武士に近い存在であったことも忘れてはなるまい。禅をモデルとする精神集中というあり方において、兵法と能は近く、武芸者と能役者の実際の交流の中で、兵法の身体の能の身体への引用がおこなわれ、まず男性の『胴作り』としてのカマエが成立していったのではなかろうか、『カマエ』という言葉もまた,『正眼の構え』等の武道用語の転用にちがいなかろう」(松岡,2004:229)

 

また、能楽師と剣術の交流については、文化人類学者の野村雅一と舞踊評論家の市川雅、儀礼、芸能に関する身体論を専門とする河野亮仙も論じている。

 

「当時、武士の中でも能を好む者が多く、とりわけ里が近いこともあって柳生一族と金春家の間には結びつきが強かった」(野村雅一・市川雅編,1999:212)

 

このように、能楽を代表する身体技法である構えとすり足は、身体文化を型によって伝承しているとともに、剣術において有効さが認められた身体技法も取り入れたものであると言える。

 

2.1.3.仮想的界としての能楽

ここまで、能楽という界(Champ)がいかに身体文化、身体技法を伝承しているかを論じてきたが、多くの人にとって今から能楽師になるということも、能楽という界の中に身を置くことも現実的ではないだろう。そこで、仮想的界として能楽を頭の中に置くということで考察を進めていきたい。

これまでの身体文化論では、西洋化によるハビトゥスの再生産に対して歯止めをかけることのできる界について論じられずにいた。そのため、身体技法の実践時に、西洋化によるハビトゥスが再生産されるという限界が存在していた。そこで、社会空間とは別に、価値判断を遂行する際の価値基準となり、仮想的に価値判断を委ねる界としての仮想的界について言及することとする。この仮想的界として、身体文化が伝承されている能楽を置くことで、姿勢や動作の実践時に、今までは無自覚かつ無意識に西洋的価値判断がなされ、西洋化によるハビトゥスが再生産されていく場面に変化をもたらせることが可能となる。  

実践時において仮想的界を置くことで、能楽の世界では、果たしてこの動作は有効かどうか、この動きには能楽の構えが適用できるのではないか、という推論が生まれるようになり、西洋化によるハビトゥスの再生産に歯止めをかけることが可能となる。

仮想的界として能楽を取り入れたことで、無自覚かつ無意識であった動作にも推論が入ることになるのだが、この推論活動において有効性が高いのが、生田の論じてきた「古典芸能の世界での『わざ』の習得プロセスの要点」である。

生田が論じた要点は、実践者が対象を自ら信頼し、「善いもの」(生田,1987: 28)とした上で、その対象の世界へと自己の意識を潜入させ、主観的活動に従事するところから始まっている(生田,1987:28-29)。     

これと同じように仮想的界を頭の中に置く実践者は、能楽という界や能楽師の身体技法を「善いもの」とし、その世界へと意識を潜入させるのである。意識を潜入させることで、自身が今まで身につけてきた常識や身体、知識といったもので実践を判断するのではなく、能楽の界とそれらの総体となった、自身の「身」の二つの事柄の間を往復運動していく中、推論と実践を積み重ることとなる。

例として、実践者が野球界で選手として活動している場面を考えたい。実践者は、走る、投げる、打つと、如何なる行為における姿勢や身体運用時においても、野球界やスポーツ界の常識と言われる判断がもちいられる場面を、仮想的界である能楽と照らし合わせることを試みてみたい。野球界にいながら、「文化的・歴史的身体」が伝承されている能楽を、価値あるものとして身体全体に取り込み、今までとは違う視点も加わった推論と実践を積み重ねるのである。能楽を仮想的界としておくことで、打撃フォームにおいて、能楽の腰を入れた構えを取り入れた方が良いのではないだろうかという推論と実践が始まり、そこからの試行錯誤という生成が始まっていくのである。このようにして、能楽を仮想的界とすることで、これまでは無意識に西洋的価値判断がなされ、「西洋化によるハビトゥスが再生産される場面」において、能楽ではどうかという価値判断が介入することにより、「身」[i]と仮想的界である能楽の二つの事柄の間を往復運動するようになるのである。この往復の中で推論と実践の積み重ねが起き、これまで西洋化によるハビトゥスが再生産され、更新されることのなかった実践が、生成活動へと変容していくのである。

 

 

[i] 本論考、序論3.で論じた市川の身の概念の意味として表記する際に、「身」と表記する。

解説

能の舞台の主人公の多くは幽霊であったり、生身の身体ではないことが多いです。そのため能楽師は、観客に自分達と同一の存在ではないことを徹底します。同じ生身の身体ではないように演じます。そのためには、関節の動きを抑制し、ブレのない動きが重要になります。関節の動きが少しでもあると生身の人間を感じさせてしまうからです。

そしてその舞台はいく世代にも引き継がれる時空を越えたタイムマシーン装置でもあります。歌舞伎がその時代のものと結びつき更新されていくことがあるのに対し、能はほぼ変化せず、100年前200年前300年前と変わらない舞台をすることで何百年も前と同じ場を再現することを重視しています。

それが矢田部氏が下記のように紹介した話であり、

 

「知人の能楽師から教えられたことがある。室町時代から五十六代も続く芸能を引き継ぐその人は、袴の裾をからげて筆者に脛を見せ、『この馬蹄形の彎曲があることによって、板の間でも脛が当たらずに、長時間坐っていられるのです。この脚の形は一代では作れません。私たちは永い歴史のなかで、この体型を作り上げてきたのです』ということを教えて下さった」(矢田部,2011:11)

 

型の意味が身体からにじみ出してくる。まで意味を教わらない、教えないという伝承です。

 

能楽という界がいかにして型による伝承を徹底しているかについては、前述の松田が論じた話に要点が見られる。 

 

「師匠の元に入門して型を学びますが、その型についての質問は一切許されないそうです。型の意味を求めず、ひたすら与えられた型を繰り返す。そうすることによって、舞台の上で何百年前から繰り返されてきた型の意味が身体からにじみ出してくる。型に何百年も前から閉じ込められたものが舞台上で解凍され、観客に感動を与えることができるのです」(松田,2021:80)    

 

この松田の論から、能楽は、個人の主観が入り込むことを型の徹底により防ぎ、型の中に存在している言葉にできない意味を伝承していることが伺える。そして、能楽の身体技法は決して能楽という界に限定された身体技法ではない。南は能の構え、すり足は、日本の農業、宗教儀礼、武道などにおける身体技法を統合しており、能楽師は幾世代にも渡り伝承された身体技法を習得した「文化的・歴史的身体」だと論じている(2009:36-37)。

このように、身体文化、身体技法が型によって不変的に伝承されてきた能楽という界は、現代の西洋化された価値判断の形成を身体文化に沿うものとして組み替えるための界の代表例と考えることができるのではないだろうか。

能の身体技法の特徴として、構えとすり足があるが、この構えの成立は、江戸時代初期に、それまでの身体運用が薄れて、室町時代に当たり前だった姿勢を人々が取れないというタイミングで構成されたという説がある。つまりは、室町時代の身体文化、身体技法を構えによって能の世界において保存しているということになります。

 

今は稽古のとき、立って、まず『構え』を作るところから始めるわけですけれども、昔は「構え」というようなものはなかった。ただ、立っただけでもうかたちができていた。能は中世の日本人の身体運用ですから、着物を着て、床に座って暮らしている人なら、どういう所作をしてもさまになる。でも、近代になって、洋服を着て、靴を履いて、椅子に座る生活をするようになったら、その生活での自然な構えではもうかたちにならない。だから、胸を落として、股関節を解放して、膝と足首を少し曲げるという『構え』を意図的に作らないといけなくなった。この場合は『中世日本人の身体』を教えるために型が存在するということになります」(佐藤,2017:213)

また、この構えを形成していく際に、剣術との交流の影響もあるのではないかという説もあり、有用性の高い姿勢の可能性が考察されています。

 

「禅鳳以来、金春家代々には武芸の嗜みがあったようで、この中から、柳生石舟斎から兵法の極意を授けられる金春氏勝のような武芸者が出たのである。金春家のみならず、室町時代の一線級の能役者が武士に近い存在であったことも忘れてはなるまい。禅をモデルとする精神集中というあり方において、兵法と能は近く、武芸者と能役者の実際の交流の中で、兵法の身体の能の身体への引用がおこなわれ、まず男性の『胴作り』としてのカマエが成立していったのではなかろうか、『カマエ』という言葉もまた,『正眼の構え』等の武道用語の転用にちがいなかろう」(松岡,2004:229)

 

話は少し変わりますが、構えとして「腰を入れる」という身体技法があります。これは陸上の短距離、野球の投手、打者とあらゆるところで有効な身体技法で、投手に採用した際はボールのキレとコントロールの安定度が非常に高くなります。

「腰を入れる」と似たものに「パワーポジション」がありますが両方をそれぞれの現場で習うとわかるのですが、全くの別物になります。この「腰を入れる」と「パワーポジション」の違いを徐々に言語化していくことも身体文化論及びに文化身体論の探究において重要な点となりそうです。

 

陸上のアフリカ系の選手の中には、腰を入れるができている選手がいます。これも本来持つ身体文化の継承ができている表れかもしれません。身体を解剖学や生理学の観点ではなく、文化の観点で考察することでみえてくる大局の原理原則があるような気がします。

そして文化からのアプローチによっての方が、より心も体も全体的につながった身体変容が可能なこともあり、この側面を持てるのかが指導者に今後求められる重要なことのような気がします。

 

一本歯下駄や足半、尺八などはこの、文化からのアプローチを持てることが他のトレーニングと一つ違うところになります。

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