1ヶ月ぶり?本当に久しぶりに、(実は今年初めて)一本歯下駄を履いて外を走った。
一本歯下駄が決して嫌になった訳ではない。
好きなものからどれだけ長い期間離れていられるかを試したかったのだ。
好きな食べ物を毎日食べていたらそれが当たり前になってしまってありがたみも忘れてしまうし、何よりも美味しいという感覚が麻痺してしまうこともあり得る。
同時に、昨年11月28日から脱アルコール(断酒)を継続している。こちらもまあ同じ理由ではあるのだけれど、アルコールを摂取せずとも水だけでも何とかなるということを実感している。
オーストラリアナラボー平原の砂漠で1ヶ月1200キロを走り続けている間、人は果たして水で酔っ払えるのか?という実験を時々していたが、これは自分自身で体の細胞をコントロールできるかどうかという実験にも等しい。
水を飲んでみてビールの味わいや香りを五感をフルに使って再現する訳だ。
毎日こまめにやっていたらその内酔ったような感覚になれたのだから凄いものである。これについて真剣に論文でも書こうと思ったけれど、生憎私は学者でも研究者でもなかった(笑)。
一本歯下駄の話に戻るが、1ヶ月あまりの間、シューズだけで走っていた。最初の頃は何か違和感を感じ続けていたが、一本歯下駄で走る感覚だけを意識して、走りながらも一本歯下駄で路面をキャッチするのと同じ感覚をシューズで感じ取るようにした。
結果…1ヶ月、雨の日以外はほぼ毎日シューズで走って、今日一本歯下駄で走ってみたところ、昨日まで一本歯下駄を履いていたような感覚で全く違和感を感じることもなかった。
言い換えるなら、既に私の体には一本歯下駄で走るという感覚が染み込んでいたということだ。
三つ子の魂百まで…というが、一度体に覚え込ませた感覚はそう簡単に消えはしない。例えるなら、自転車に乗るとか泳ぐという感覚に近い。子供の頃に体で覚えた技術やスキルは大人になっても、あるいは記憶喪失になったとしても忘れることはないということだ。
ただし、ここでは、考えることなく体の感じるままに動くということが要になっている。変に理論武装したり思考を働かせたりしては意味がない。
シューズを履いて走っている間にも一本歯下駄の感覚は消えることはなかった。
それは、感覚そのものがシューズと一本歯下駄の間にあって、精神的には常にニュートラルな状態で走っていたからだろう。
考えたものはやがて忘れ去られてしまうが、感じ取ったものはなかなか忘れることはない。
過去に感じたいろんな感覚を今一度想起させて、その時にやっていた行動やアクションを再現してみよう。
昔やっていたけど長年やっていなかったことに再チャレンジしてみるのだ。
きっと新たな発見や気づき・学びがあるはず…。
*YouTube動画リスト:一本歯下駄〜One-Tooth Geta
*一本歯下駄の購入はこちらで…
*ライター:
株式会社GETTA認定アンバサダー
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」を走るアドヴェンチャー・ランナー 高繁勝彦
コメント