2022
08.01
文化身体論の構築

一本歯下駄と文化身体論4

文化身体論, 一本歯下駄個人ブログ, 宮崎要輔ブログ

一本歯下駄GETTAの宮﨑です。ここでは、一本歯下駄について考えていることを『文化身体論の構築に向けて一考察〜伝承的身体の再現性に着目して〜』という私の修士論文(社会学)を順に追いながら綴っていこうと思います。

今回は、第四回になります。本論第1章 身体文化論の限界1.2.身体文化論における姿勢、道具、動作

を追っていきます。

前回はこちら

 

一本歯下駄と文化身体論3

 

 

 

文化身体論の構築に向けて一考察〜伝承的身体の再現性に着目して〜

1.2.身体文化論における姿勢、道具、動作

近代以前の日本人の姿勢や体つきをみていくと矢田部が指摘しているように、「洋服の似合う身体」(矢田部,2011:26)を価値基準として判断している現代の私達とは違った身体が浮かび上がってくる。資料集『百年前の日本−モースコレクション(写真編)』(小西四郎・岡秀行編,2005)に掲載される100年以上前の写真から、日本人の多くは、なで肩の猫背で「みぞおち」[i]部分はへこみ、顎は少し上向きに突き出されていることが確認できる。アスリート専門の施術家である小山田良治は、この顎を少し上向きに突き出している姿勢について以下の様にその優位性について述べている。

 

「眼球の上下運動に関与する筋がリラックスした状態なので、眼球を左右上下に素早く動かすことができ、胸鎖乳突筋など鎖骨に付着する筋も開放されているこれによって、反射的に身体を動かしやすい状態にすることができるんですね。その結果、脊髄反射が俊敏に行われるわけです」(織田・小山田編,2011:104)

 

また、「みぞおち」について齋藤(2000:176)は、日本の身体文化の中で重要なポイントであるのが「みぞおち」の柔らかさであるとし、矢田部(2012:30)は現代でいわれる「胸を張る」は「みぞおち」を圧迫し、腰が抜けてしまうと指摘し、「胸を張る」や「背筋をのばす」意識は、姿勢として身体を緊張させる不自然なものだと論じている。このことについて、解剖学的にも西洋的な良い姿勢は日本人にはあまり合わないということを安田登が下記のように指摘している。

 

「日本人は腰方形筋が短い人が多い。腰方形筋が短い中で西洋的な良い姿勢で腰に負担をかけている」(安田,2018: 119)

 

安田は、さらに腰方形筋が短い日本人に適した歩き方についても指摘している。ふくらはぎが細く、腿もそれほど太くないがお尻が発達して描かれる中世の絵巻物から、中世の日本人は、お尻と大腰筋などの深層筋を使って歩いていたと述べる(2018:120-123)。

現代と少し違った姿勢や体つきをしていた日本人であるが、身体文化論で論じられている道具にも特徴が見られる。その中でも、特に重点的に論じられている道具が、踵部分がない形状の草鞋である「足半」である。「足半」は文字通り足の半分しか台座の寸法がない日本独自の履物であり、台座の踵部分や足指部分がない。すなわち、踵も爪先も台座からはみ出して履く草履となっている。人類学者の近藤四郎(1979)を始めとして、数多くの研究者に取り上げられている履物でもある。

 

「わが国在来の重要な履物として、足半をあげておこう。足半は読んで字のごとく、台部が足の長さの半分ぐらいの一種の草履である。鼻緒をすげて、前鼻緒を台部の裏で結ぶ普通の草履とはちがって。足半は台部のなかを走る芯緒を台の先端から引き出して、横緒に結ぶ。したがって足半を履くと、足ゆびが地面にはみ出して地面をつかむことができる。また芯緒が前鼻緒として横緒に結ばれるから、どんなに爪先に力を入れても鼻緒が切れるということがない。さらに、藁でできているから、水にぬれても泥道を歩いても、すべることがなく、台部が短いことは尻はねをおこさない。このように足半は活動に適しているので、早くから武士に重宝され、鎌倉時代の『蒙古襲来絵詞』や『春日権現霊験記』などに見えている。当時、戦場までは草履で行き、戦闘に入る前に足半に履きかえたことも知られていて、足半は跳躍によく、また転倒を防ぐための昔のスパイクであったということができよう。こうして武士にもっぱら愛用された足半は、江戸時代に入ると農村漁村で農漁民が用いるようになった。足半のもっている働きのよさが、ようやく農作業、魚とりなどにひろがり、戦前はよく見かけたものだが、今では鵜飼いのとき鵜匠が履いているのを見るぐらいになってしまった。なお、上野公園の西郷さんの銅像[ii]は、足半を履いて犬を連れている」

(近藤,1979:189)

 

さらに、歴史学者の高橋昌明(2007)は以下に述べている。

 

「鎌倉時代後半の絵巻物には、足半を履く武士の従者の姿が描かれている。「足なか」の語も室町時代後期の『今川大双紙』に初めて現れる。当時は武士が戦場で履いた。神沢貞幹の随筆風百科全書『翁草』(安永元年〈一七七二〉刊)に、「軍中履物の事(中略)戦ひにては皆足半を履く事也。其所以は働の間に草履の中へ土砂入て働のさまたげと成る也、各足半を履く事也」とある。つまり、普通の草履では、足の裏との間に土砂が入って、戦場における活躍のさまたげになるからという。これも足半の効用として大事な点だろう」(高橋,2007:73)

 

 前述の矢田部英正(2011)も足半に関して言及している。

 

「足半は戦国武将のなかでも織田信長がとくに好んだことが知られていて、いつも信長は腰に数足の足半を提げていたことなども伝えられている。―――(中略)―――足半には、日本人の歩き方を知る上で、ある典型とも言える特色が集約されているように思われる。まず「踵がない」ということ自体が爪先に体重をかけて歩くことを自明のものとして伝えている。実際に足の全半分だけに履物を着けると、他の日本の履物と比べても、足先で地面をとらえ、強く踏ん張る感覚をより明確に意識することができる」(矢田部,2011:71-72)

 

このように足半は、現在のスポーツにおけるスパイク的な役割として武士が戦場で好んだ履物であり、農作業などの日常の場面でも好まれた履物でもあった。近藤、高橋、矢田部の他にも身体文化、身体技法との関連が指摘されている(川田順三,2014;木寺英史,2020; 高取正男,2021)。足半と同じように、身体文化、身体技法との結びつきについて論じられてきたものが下駄である。矢田部は下駄を履いて歩くことについて下記のように指摘している。

 

「下駄は、自ら意識して足を前に出そうとして歩くのではなくて、身体を前に傾けると、足は後から連られるようにして、自然と前へ出る仕組みになっている。そうすると鼻緒にはほとんど負担がかからず、長時間歩き続けたとしても足指の皮がずり剥けるようなことにはならない。」(矢田部,2011:74)

 

下駄は、現在の多くの日本人による歩き方では歩き難く、歩けたとしても「鼻緒ずれ」で足部母指と示指間(いわゆる、親指の付け根)に痛みを発生させる履物である。下駄に限らず、伝統的な履物を履いたときの日本人の歩行に関して、身体文化論の研究者である木寺英史(2020)が言及している。

 

「伝統的な履物を履いたときの日本人の歩行に関しては、一般的につま先に荷重することが強調されていますが、私はかかと荷重の歩行も誘発したと思うのです。草履や下駄を履くと、鼻緒を足の親指と人差し指ではさみます。足指を曲げ効率よく鼻緒をはさむことができるようにするためには、かかと付近に荷重する必要があるのです。そのため、かかとを踏みしめる歩きが容易になると考えられます」(木寺,2020:96)

 

前述の松田は、昭和初期における力士の身体技法に言及する。

 

「ぶつかりげいこで押す場合、かかとを土俵につけたうえでツマ先に十分に力を入れて押すようにしなければならない」(松田,2021:156)

 

さらに、松田は、現代力士の立ち合いについて、踵を地面からはなしたつま先立ちで力を出していると指摘した上で、昭和初期における力士は下記のようであったと指摘する。

 

「立合い当たるときや押すとき、寄るときにつま先立ちで力を出している力士はなく、足裏全体、特に足のインエッジ(内側のライン)を使うのが一般的です」

(松田,2021:174)

 

現代日本人に多く見られるつま先か踵どちらかに荷重をかけて蹴る動きではなく、木寺も松田も身体文化論としての動きは、つま先にも踵にもどちらも充分に荷重をかけた足裏全体のものだったと指摘しているのである。

そして伝統的な履物を履いたときの日本人の歩行において、複数論じられている歩行がなんば歩きである。なんば歩きについては、様々な説が存在するが、前述の高橋は下記のように紹介している。

 

「常歩は両足の立ち幅を骨盤幅に保ったまま、身体に左右二本の軸を置く。そして、両足は二直線のうえをそれぞれ通過する二軸動作の歩行法である。つまり体幹をほとんどねじらない。この歩行では、着地した足が前に出るとき、同じ側の肩・腕が同時に前に出る。着地と離地は地面を蹴る感覚ではなく、足裏全体がぱっと一瞬に離れる感覚となる。つま先とかかとで地面をつかむ感じだから、足はガニ股、また左右の軸へのスムーズな重心移動のため、膝はやや曲がり腰は落とし気味、あごも少し上る。こうした動きは、相撲のすり足、空手の蹴りや突き、能・歌舞伎などの伝統芸能などの所作などに今も残っており、日常では五歳ごろまでの幼児の歩き方に見られる」(高橋,2007:71)

 

高橋が紹介したように、なんば歩きは「地面を蹴る感覚ではない」という部分は、矢田部が指摘した下駄での歩き方と通じるものがあるように、なんば歩きは、齊藤(2000: 82-86)の論じた複数の道具とコツの関連性からなる複合技である。このことからも身体文化、身体技法の再現性における習熟度の目安として、なんば歩きは適切ではなかろうか。

そこで、なんば歩きについて、武術家の甲野善紀は下記のように身体全体での動きであることを強調して紹介している。

 

「この『ナンバ』という身体の使い方は、逆の手と足を出す歩き方、走り方とくらべて、より複雑な背中や胸の使い方を必要としますから、より身体全体で走るという動きの要素を持っているんです」(甲野,2003:248)

 

なんば歩きのように、身体文化、身体技法には、現代の動きと比べ、身体全体による動きがいくつかみられる。松田は大正時代以前の四股について下記のように論じている。

 

「武道では、日常の動きをスピードアップするのではなく、10工程の動作を5工程、さらには3工程へと詰めていくのが武術的な動きを体現することだといわれています。運動神経や反射神経に頼ることなく、動作自体を少なくすることで、スピードではない早さを体現します。予備動作を極力排し、全身を一つにつなげ、足の上げ下げを重力を利用して一調子で行う、そういう四股が武術的な動きにつながるのです」(松田,2021:7)

 

松田は、大正時代以前の四股は予備動作を極力排し、全身を一つにつなげたものであるからこそ、工程を詰めていると論じる。逆に現代の四股やトレーニングというものは、右足を上げ、左足に荷重をかけ、右足をさらに高く上げ、そこから右足を下ろすというように、順序立てて、工程を増やすことに注力していると論じている(松田,2021:68-72)。

こうした松田の論は、安田が「膝」と言えば現代の私たちが想起する膝頭ではなく、太ももの前側全体を指していたと論じた、曖昧な身体感覚の身体観と通じている。身体を細分化し、動作を順序立てることで工程を増やす現代とは違い、身体を曖昧化することで身体全体を捉え、工程を減らし、思考も予備動作も少ない身体観である。なんば歩きにおいて、踏み出した脚側の肩や胸が後方に下がらず、脚と同時に前に出るというのも、松田の論じた、予備動作がなく、全身を一つにつなげた動作ではなかろうか。

失われた身体文化、身体技法の動きというのは、その多くが、現代のような順序立てた動きではなく、予備動作を必要とせず、動作を同時に行ない、身体は一体化されたつながりをもつ。これらは、曖昧であり、重さや捉え方さえも異なった身体観があるからこそ、存在していたものだと考えられる。

[i]  みぞおちとは、人間の腹の上方中央にある窪んだ部位である

[ii] 正式名称は、上野恩賜公園西郷隆盛像 高村光雲 作

解説

一本歯下駄でパフォーマンスを向上していこうと考えた時にまずぶつかるのが、現代の私たちが社会的の考える姿勢の正しさとの違いになります。胸を張る、背筋を伸ばすはその象徴的な言葉ではないでしょうか。

スポーツの世界を見渡すとトップの選手ほど猫背であったり、プロ生活が長い選手ほどお腹がぽっこりしていたり、常識で考えられていることとの差異が存在します。

ただ、いい猫背もあれば、従来通りあまり良くない猫背もあります。その見分けのヒントのさわりの部分を今回の引用部分ではふれています。

少し話はそれますが、プロボクシングの選手で本当に強い選手とそうでない選手は試合後の写真でみてとれます。

本当に強い選手は試合後の写真では、顔が少し大きく映ります。同じ選手でも普段の時よりも試合後は少し顔が大きく写っています。

そういう選手は、僧帽筋よりも広背筋や板状筋を使うことができ、肩甲骨を前方に開くこともできるので高重心を使うことができます。

高重心を使えればそれだけ一瞬の動きが速くなります。またみぞおちが少しへこむことで下の丹田にエネルギーが充満するので腹圧が高まり、ぽっこりお腹にもなりやすいです。

 

矢田部(2012:30)は現代でいわれる「胸を張る」は「みぞおち」を圧迫し、腰が抜けてしまうと指摘し、「胸を張る」や「背筋をのばす」意識は、姿勢として身体を緊張させる不自然なものだと論じている。

身体文化論の先行研究者の多くがこの姿勢や体格の違いに気づいています。

ここでは、道具として一本歯下駄とも理論を共有しているところがある足半の歴史もふれていますが、その流れから引用した松田氏の言及は多くの競技に応用が可能です。

前述の松田は、昭和初期における力士の身体技法に言及する。

 

「ぶつかりげいこで押す場合、かかとを土俵につけたうえでツマ先に十分に力を入れて押すようにしなければならない」(松田,2021:156)

 

さらに、松田は、現代力士の立ち合いについて、踵を地面からはなしたつま先立ちで力を出していると指摘した上で、昭和初期における力士は下記のようであったと指摘する。

 

「立合い当たるときや押すとき、寄るときにつま先立ちで力を出している力士はなく、足裏全体、特に足のインエッジ(内側のライン)を使うのが一般的です」

(松田,2021:174)

 

松田氏のこの言及は、この数十年の横綱とそのほかの力士の違いでもあり、モンゴル力士の横綱が強かったのもこの身体技法が彼らにはあったからだと考えられます。

実は、この足の使い方は、野球の盗塁王クラスの選手の盗塁にもみられます。

かつての身体技法とトップ選手のみにみられる技法の一致が存在しています。

 

なんば歩きのように、身体文化、身体技法には、現代の動きと比べ、身体全体による動きがいくつかみられる。松田は大正時代以前の四股について下記のように論じている。

 

「武道では、日常の動きをスピードアップするのではなく、10工程の動作を5工程、さらには3工程へと詰めていくのが武術的な動きを体現することだといわれています。運動神経や反射神経に頼ることなく、動作自体を少なくすることで、スピードではない早さを体現します。予備動作を極力排し、全身を一つにつなげ、足の上げ下げを重力を利用して一調子で行う、そういう四股が武術的な動きにつながるのです」(松田,2021:7)

 

松田は、大正時代以前の四股は予備動作を極力排し、全身を一つにつなげたものであるからこそ、工程を詰めていると論じる。逆に現代の四股やトレーニングというものは、右足を上げ、左足に荷重をかけ、右足をさらに高く上げ、そこから右足を下ろすというように、順序立てて、工程を増やすことに注力していると論じている(松田,2021:68-72)。

こうした松田の論は、安田が「膝」と言えば現代の私たちが想起する膝頭ではなく、太ももの前側全体を指していたと論じた、曖昧な身体感覚の身体観と通じている。身体を細分化し、動作を順序立てることで工程を増やす現代とは違い、身体を曖昧化することで身体全体を捉え、工程を減らし、思考も予備動作も少ない身体観である。なんば歩きにおいて、踏み出した脚側の肩や胸が後方に下がらず、脚と同時に前に出るというのも、松田の論じた、予備動作がなく、全身を一つにつなげた動作ではなかろうか。

失われた身体文化、身体技法の動きというのは、その多くが、現代のような順序立てた動きではなく、予備動作を必要とせず、動作を同時に行ない、身体は一体化されたつながりをもつ。これらは、曖昧であり、重さや捉え方さえも異なった身体観があるからこそ、存在していたものだと考えられる。

明治の頃、日本人は行進がうまくできなかったと言われています。1、2、1、2というリズムがわからなかったようです。松田氏が論じているように身体がつながっているからこそ工程がない。1、1、1、1、の1の連続のリズムで動けていたからこそ、行進がうまくできなかったのではないかと考えています。

なんばの動きなども1、2、1、2ではなく左右それぞれ1、1、1、1の動きになります。こうした動きやリズムが身体のつながりを高めると共に、空間把握能力を超えて空間の掌握能力を高めていくと一本歯下駄の指導現場では感じています。

 

サッカーやバスケットボールでは、これがボール奪取能力、スティールの能力に関わっていきます。

 

ボクシングや格闘技では、相手との間合いをキャンセルできます。世界王者ほど、ノーガードになるシーンをみることがあると思います。あのノーガードは身体が最もつながるポジションであり、尚且つ相手との間合いをキャンセルでき、空間を掌握できるメリットがあります。

急所を晒すデメリットがある中、本能的にノーガードのメリットを利用しているのです。

ただ、更に極めていった選手はノーガードのポジションを取らずとも身体のつながりをつくります。

こうした選手の動きの観察についても、身体文化の流れから考察していくと単なる挑発行為だと思われていたノーガードが、身体を極限的に呼び起こす行為であるとか色んなことが見えてきます。

一本歯下駄と文化身体論5

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