【鼻緒/花緒とは…?】草履(ぞうり)、下駄(げた)などの履き物に用いられる緒。わが国の古墳時代の遺物に「屐(げき)」といわれる三つ穴のあいた下駄がある。その屐にどんな緒がすげられたかはっきりとしないが、これが鼻緒のある履き物であったことには間違いがない。平安時代末期の『扇面古写経』(大阪・四天王寺蔵)の下絵に描かれた下駄は、鼻緒のある下駄の最古のものであろう。鎌倉時代になると、尻切(しきれ)、緒太(おぶと)という草履が男女に用いられているが、この鼻緒は現代のサンダル式のために横一文字にすげられている。緒は太いのが特色で、緒太草履の名称の起源を察することができる。江戸時代には履き物の発達に伴って、鼻緒は藁(わら)や藺草(いぐさ)を縄にない、あるいは竹の皮緒をバラ緒といって用いた。また、上方(かみがた)では革の塗り緒、なめし革緒、遊女は色糸の組み緒、またしゃれた婦女は縮緬(ちりめん)、ビロードなどで緒をつくったものを用い、とくにビロードの黒緒を八幡黒(やわたぐろ)といった。文化・文政(1804~30)のころになると、一本緒のほかに、二本緒、三本緒、五本緒と、細い緒を何本も組み合わせてつくったものも用いられた。天保(てんぽう)の改革(1841~43)の際のぜいたく禁止令で、ビロードが禁止されると、輪奈天(わなてん)といわれるものがくふうされた。現在では塩瀬、風通(ふうつう)、別珍、ワニ・トカゲの革など、いろいろのものが用いられている。
[遠藤 武]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)「鼻緒」の項から
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日本人は明治時代以前、鼻緒のある履物をもともと履いていたはず。
靴なるものが西洋から入ってきたのは江戸末期。草履や下駄のような自然の素材を使った履物が主流だったという。日本における靴の歴史はたかだか200年にも満たない訳だ。
一本歯下駄を履き始めて多くの方が指の股が痛いと言う。これは鼻緒のある履物に慣れていないせいもある。指を目一杯鼻緒に突っ込んでしまうと当然痛くなる。理想は指の股と鼻緒の間に少しスペースを開けるようにすることだ。
一本歯下駄は綿密なサイズというものがない。かかとが1〜2センチほどはみ出しても問題ないし、むしろ小さめのサイズの方が歯の位置が前に出るため歩きやすくなる。
幅広甲高の足であっても鼻緒の調整で自分の足にカスタマイズできる。
さらには、鼻緒は下駄の顔。鼻緒一つで下駄の表情が変わる。
市販されている一本歯下駄の多くは黒か白の鼻緒。あまりにも味気ない。
人と違うものがいいと言う方もおられるだろうし、特にオシャレな女性はやはり色やデザインにもこだわるだろうし、可愛いものが気に入られると思う。
少し前から鼻緒を自作している。
一本歯下駄のメンテナンスを自分でやっている内に鼻緒の調整もできるようになったし、自分で挿げ替えることもそう難しいものではないということがわかった。
もちろんベテランの下駄職人みたいに、ミリ単位で思い通りに調整するところまではいかないけれど、歯の交換以外、ほとんどのメンテナンスは自分でやっている。
鼻緒も自分で作ると楽しいもの。
生地を買ってきて縫い合わせ、自分自身の一本歯下駄にも極太鼻緒を挿げている。
市販されている鼻緒はこんなに太くはない。通常は2センチ径のものが多いが、私が作るものは3センチ径から4センチ径が中心。
これまでにいろんな方の一本歯下駄に鼻緒を挿げてきたが、極太鼻緒も人気である。
北京五輪女子マラソン代表中村友梨香選手ご愛用のGETTAに挿げた極太鼻緒。
琉球柄の生成り紅型(きなりびんがた)といわれる生地を使用。
一本歯下駄で特に歯の高さのあるものや重みのあるものには極太鼻緒がいい。
鼻緒が太ければ太いほど一本歯下駄の重さが足の甲全体に分散されるし、15センチを超える高さの一本歯下駄ならより鼻緒と一本歯下駄が一体化するようにフィット感も高められる。
特に一本歯下駄で走るランナーにはぜひ極太鼻緒を試していただきたい。
鼻緒ひとつでイメージが変わる。
カスタマイズされたマイ一本歯下駄で颯爽と歩いてみよう。
*極太鼻緒はオリジナルハンドメイドです。ご注文頂いてから約1〜2週間お時間頂いています。
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