一本歯下駄と清水焼き

一本歯下駄GETTAの宮崎要輔です。

久しぶりに清水焼きを生業にしている清水さんのところに。清水さんも出会って12年ほどになるけども、清水焼きのつくり手として、技だけでなく、思想を磨き高めていて、京都の文化性ってこういうことなんだと生き方で教えてくれる。


思うに、清水焼きの作品づくりのアイデアは思想がなければ生まれないし、深みもでない。


そして、思想は身体性と表裏一体なので内観ができなければ思想は深まらない。


身体の中に海をつくり、社会をつくり、つくった海や社会を咀嚼していく中で深まる情報から思想が生まれていく。


作品をみていると清水さんがこの世界の何を愛して、何に憤りを感じているのか。そこにある生命のゆらぎに想いを馳せたくなる。


技と思想の両方を日々磨き、高めていく中にこそ、作品は存在するし、文化的身体も存在している。


清水さんはいう「これからは、人間の行動をテーマにしていきたい」と


作品づくりは、タイトルを先に決めてつくるとのこと。


そのことの意味は何なのか、だからこそ生まれることは何かと考えることが楽しい。

先ずはタイトルがあった上で


余白のある身体


間のある時間


間のある身体


目の前の作品


生命のゆらぎの化学反応を生み出す身体性や思想、時間の関係。文化や歴史の中に未来の情報はつまっている。


一本歯下駄でトレーニングを作る時の感覚に非常に近くて、清水焼きとても勉強になります。

 

友だち追加

関連記事

TOP