一本歯下駄GETTAの宮崎です。今回は自分の日々思っていることについて書きます。
文化資本を身体化させ、内包、構築することが大学院の修士論文のテーマでした。文化資本を内包した人は、階級や界の横断ができるのではないかという仮説を持っているので、ここを今後の研究テーマにしています。何故なら、そこに近代社会の社会構造をこえるための一要素があると感じているからです。
実は、100年以上前に文化資本を内包し、階級も界も横断していたダンサーがいました。
モダンダンスの祖の一人にも上げられるイサドラ・ダンカンです。
彼女は100年前の戦時下にあるヨーロッパ各国で各国の国王をはじめとした要人の元に出向き、戦争で孤児となった子供たちのための学校をつくろうと行動して学校をつくります。
下記はフランス訪問の際にイサドラ・ダンカンが話したとされる内容です。
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「何故あなた方は今日、この席にいらっしゃるのか、その理由を皆さんは御存知です。私のためにいらっしゃるのでもなく、皆さん方御自身のためでもありません。
そうでなく、将来に踊りをするであろう小さな子供たちのためであります。
私がこれらの踊りを発明したのではありません。 私よりも以前から踊りはあったのです。 ただ冬眠していたのです。私はただ、それを見つけ出し、目覚めさせただけです。
私が私の学校について語っても、お金を支払ってくれる生徒を私が欲しがっているのではないということを理解してもらえません。でも私は私の魂を銀貨と引き換えに売っているのではありません。 私はお金持ちの子供たちを望んではいない。お金があって、芸術は入用でないからです。私の欲しい子供たちとは、戦争で孤児となった子供たちです。
彼らはすべてを失なって、もはや父も母もおりません。 私はといえばお金はほとんどいらない。この衣裳を見てください。 手のかかったものではありません。 大して高価なものでもありません。私の<装置>を見てください。 この碧い幕は私が踊りをはじめてからずっと持っているものです。 宝石、そんなものも私はいらない。 女性の手にする一輪の花こそ、世界中の真珠やダイヤモンドより美しい。 そうは思いませんか?」
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100年前にそうした理想を持って行動していたイサドラ・ダンカンは、革命が起きたばかりの旧ソ連に招かれます。
ただし、最初の顔合わせの日、彼女はすぐさま激怒します。
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「いったいどういうことでしょう、ブルジョワを追い出したのも、ただその後釜に居すわって、まさに彼らがしていたと同じこの部屋で同じ愚行にふけるためにだけだったなんて!
ここにあなた方みんなは、まさにブルジョワたちのしていたと同じように座って、それもこんなくだらない芸術品と悪趣味の家具調度でごったがえしている場所で、まさにブルジョワたちのやっていたと同様にくだらない音楽に耳を傾けている。
何にも変わっちゃいない。彼らとあなた方とが入れ替わっただけよ。いくら変わろうと同じことだわ。 あなた方は革命をなしとげたのではありませんか。 あなたがたこそブルジョワからのこんな恐るべき遺産はみな捨て去って当然ではありませんか。それがこんなところで、あなた方はヘロデ王顔まけのヘロデ王だわ。 革命家なんかじゃない。まるでブルジョワだわ。搾取者だわ!」
死んだように静まり返った中を、イサドラは復讐の天使さながら、炎につつまれ、口からは火のような言葉を吹きちらして、唖然としている同伴者ともども部屋を後にした。 彼女が去った後のサロンでは大騒ぎだった。 やっと、より高位のリーダーたちのある者が、もういっぺん新たな目で部屋をながめ直して、あの外国からやってきた同志の言うこともそんなに間違ってはいなかったことを認めて、はじめて騒ぎはおさまった。
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僕は、色んな場面でこのエピソードをよく思い出します。
サービスの受け手からお金をもらわないことの多い、ソーシャルビジネス(社会課題の解決)は工夫と知恵が必要です。
なので、知恵がでて、知恵から行動が生まれるソーシャルビジネスに近代をこえていく可能性を学生時代から感じていました。
ただ、2011年、2012年ごろに感じたのは、ソーシャルビジネスの実行者が「報われた」と思ってしまう瞬間に社会構造に呑み込まれていくということです。
そうした中でこの辺りから徐々に、メディアや行政が取り扱うソーシャルビジネスの多くは、社会課題に直面している当事者のためのものではなく、買う言い訳をプロデュースしているものがこの頃増えていきました。
社会構造に飲み込まれて、ソーシャルビジネスがマーケティング化した時、イサドラ・ダンカンの指摘そのままに感じました。
近代社会の社会構造をこえていきたいのに、それをこえる一つの可能性であるソーシャルビジネスが、その構造に飲み込まれつつあると感じた時、ちゃんと近代社会に向き合おう、その中核の歴史をみようと20代の時に一人で参加していたのが経済界大賞でした。
参加していた時期は、昨年亡くなられた稲盛和夫さんや孫正義さんが大賞を受賞されていたタイミングでした。
稲盛さんに「京都から来ました」とお声がけすると本当に嬉しそうに笑顔になって、握手をして名刺交換をしてくれて、この人は、本当に京都が好きなんだと心底感じました。
孫さんは、実際に同じ場所にいると屈託のない笑顔と穏やかな表情が特徴的でした。
当時、20代男性での参加者がほとんどいなかったのもあり、会場では色んな人が声をかけてくれ、一人で単身での参加でありながらも毎年二次会三次会と参加させてもらいました。
そうして経済界大賞などで色んな経営者とあった中、近代社会の構造の中で生きる孫さんたちよりも、ずっと、すごいなと思った経営者が、熊野会長でした。
市場の中からニーズをみつけるではなく、社会ニーズから市場をつくる。
事業計画、事業設計で留まらず、「社会設計」まで行い、社会に提案していく。
そうした中で、10年後の今、何がおこっているかというと熊野会長と出会った人は、
会社であろうと行政であろうとどのセクターに所属していても、ある一箇所の価値観に留まるのではなく、
色んな価値を横断していく人となり、寛容に生きられるようになり、近代社会を越えていこうと未来に向かっているということです。
文化資本を内包し、界を横断していく人が増えていくならば、
もしかしたら、近代社会を越えていけるのではとより強く思う今日この頃です。