現代の日本の子どもたちの多くが身体の内から湧きあがってくる情報のままにとにかく「遊び倒す」時間が本当に足りていないという話を聞くことがある。
僕も「遊び倒す」時間の尊重が今の子ども達の環境下では本当に大切になってきた世の中だと思う。
「遊び倒す」とは何なのか?
それは自身の内から湧きあがってくる衝動に創意工夫をし倒すことだと思って毎週木曜日は試行錯誤と自問自答の両方を繰り返している。
大人のこうさせたい、こうあって欲しいという理想から一歩引いた立場で遊び倒す機会をもっともっと子ども達に保障していける場をつくることが重要なんではないかなと子ども達から教わっている自分がいる。
子ども一人一人が週に1日でも、毎週その曜日の前日が楽しみでしょうがなくなる「遊び倒す」経験こそが、「学び倒す」力や「探求し倒す」力につながっていくそういうdoが存在する。
子ども達の自分の内から湧きあがってくる遊び倒すから自発性がうまれていく。
遊び倒す機会の保証が他者との共有、創造性と感性の共有へとつながっていく。
実はこの先にストイックさやそれと両義性を持つ感性といった切磋琢磨していく時にも重要となるものがあるのではないかと思いながら毎回考えている。
子どもの遊び倒す感性を軸として自分の専門分野を重ねていく。
2016年12月8日の京北スクールは「トランポリン脱力走法」
子ども達の自発的な遊び倒すカテゴリーという子ども自らが楽しくてしょうがないから仲間もまき混んで行うことにいかにトレーニングが食い込んでいけるかが僕にとっての勝負どころになっている。
(今のライバルはドッチボール)
脱力走法は一本歯下駄かトランポリンでおこなっていくことで身についていく。
①スタート前に手首をぶらぶらさせる
②スタートと同時に親指と人差し指で円をつくる(この時、力は入れない)
③トランポリンにのった瞬間に舌べろを出してそのまま舌をだし、親指と人差し指の円をキープしたまま羅列されたトランポリンを走り抜ける。
まったく筋肉が強張らず全身が互いに協調しあうようにリズミカルな走りのスイッチが入っていく。
5本も走ればそのまま地面でも今までよりも身体本来の身体の使い方で走れるようになる。
「うわー速くなった!!!なんで?」
何故そうなるのか?
子ども達の自分の実感がともなった身体への興味から、歴史や文化への探求の入り口にもなってくる。
一本歯下駄が生んでいく教育、子ども達の探究心の先にある未来が楽しみです。
一本歯下駄トレーニングでは 『人類の歴史を探求する身体のオート機能』をメインテーマにしていきます。
走ることも投げることも人類の歴史からそもそも人類とはを考察していくと身体の中にオート機能が準備されているのがわかります。
ホモサピエンスとネアンデルタール人の違いをはじめ、身体のオート機能には人類の歴史が詰まっています。
オート機能での動き方がわかるとチェックすべきポイントは途端に少なくなります。
チェック項目がシンプルになっていけばいくほど身体や地面と対話できる感覚が生まれてきます。
そして人類本来の身体の使い方や仕組みがわかると走るのも投げるのも今まで以上に楽しくなると思います。
スポーツというのは過去生きてきた人々と近くなっていく、DNAの中にある記憶を探ることのようです。
スポーツがエンターテイメントという枠組みだった人も、人類が文化や伝統、歴史を詰め込んでスポーツという大発明をしたということ、
身体を動かすというのは そもそも人類とはの追求や僕らの中にあるDNAとの対話の両方を同時にできるものだというのがオート機能を使っていくとみえてきます。
日本だけでなく、世界でランニング文化が広がり東京マラソン等の大会が人気なのかということも そもそも人類とは を触れていくとわかってくると思います。
一本歯下駄は走る楽しさ、投げる楽しさをシェア、共有するための一つのアプローチの方法を共有してくれます。