コラム


管理人(宮崎)の頭の中を文章化、不定期更新中です

 

 

【2013年京都未来フェス宣言】

音楽やゲームを欲しい時にダウンロードし、服や本を欲しい時にネットから購入する。それらが当たり前のように繰り返されるようになって、人々は気がつかないうちに「思い出」や「愛着」という現実のリアリティを失っている社会の中にいます。そうした社会の流れの中で、リアリティを取り戻し、明日の生き方について、一人一人が提案し、参加者と一緒に模索していく場として「未来フェス」を開催します。

 

この、未来フェスのイベント主催者、登壇者は特別優秀な人、才能のある人、最前線にたつ人である必要はありません。時代の上を生きる等身大の人たちが集まってきます。

 

従来のような競争を勝ち抜いた一人のカリスマに頼るものではなく、大きな会場にエネルギーも負担も集中させたピッグ・イベントでもなく、小さいけどそれぞれの主催者の息づかいの聞こえる小さなイベントが京都という町全体にネットワークされていきます。

 

競争する社会ではなく、共走する社会ならば、そこでは社会的有名人である必要も、背伸びをする必要もありません。普通の人々が、本気で自分の関心のある分野やテーマについての思いを表現し、それらを日にちを合わせることによって、同時多発で登場してもらいます。

 

分散型のネットワークは、それだけで一つの巨大な組織、巨大な城に匹敵するものをつくることが可能です。一人一人が正しいことを正しくおこなっていく、そこにみんなの未来があるのです。

 

20世紀後半、人類は音楽とスポーツから人種と世代をこえる共有を経験しました。21世紀は分野も組織の壁もこえた新しい共有意識を経験する時代かもしれません。

 

今、各分野で面白い動きと取り組みがはじまっています。それを現場で感じ、個々の意識としてつなげることができる場として2013年10月12日13日京都にて第一回未来フェスを開催します。時代を生きる普通の人が、イベントを主宰して、表現者としてライブを開催してください。多くの積極的な個人からの連絡をお待ちしています。このネットワークフェスティバルから自分達の未来をつくりましょう。

 

【スポーツにおける体罰について】
僕は体罰反対派です。体罰は指導者の能力不足、コミュニケーション不足のごまかしでしかない。
部活動の指導者にしろ、体罰をする人間というのはどこか潜在的に子どもを己の道具として認識しているのだと思う。
愛ある体罰というけど、それはごまかしであり、なにより愛があるならばじっと拳を見つめる時間があるんではないか・・・
『巨人の星』というマンガは本当によくできていている。
主人公の星飛雄馬は父の星一徹にそれこそ愛ある体罰のある指導のスパルタ教育の中、甲子園で活躍し、巨人軍にはいる。そんな星飛雄馬は常に一時だけしか活躍できない。身長、球の軽さと色んな理由で活躍してもすぐに挫折し、選手生活を通してどころかシーズンを通しても長く活躍できた時期はない。星一徹というキャラクターはとても人情味があり個人的には好きな人物であるが、やっぱりこの人も星飛雄馬を自分の悲願を達成させる道具として育てている。
体罰というのは人を自分の思い通りに、つまりは道具として認識するという行為であり、どんな理由であれ存在意義はない。逆に『キャプテン翼』はそれこそ「ボールは友達」という自分でつくった自己哲学を持ちサッカーオタクの大空翼が主人公であり、彼は少年時代から第一線で活躍し続け、今ではバルセロナの一員として世界のトップで活躍している。
そしてこの大空翼を少年時代に指導したロベルト本郷こそ、指導者の一つの理想的なロールモデルだ。
彼は大空翼の感性や感覚、将来についてとことん尊重し、引き出していく。
キャプテン翼は哲学や大事なことは本当にうまくできている。これが世界中で人気の秘密なのではないだろうか。体罰を肯定する人間は一度キャプテン翼を読み直す所からはじめてみたもいいだろう。
『2013年以降のソーシャルビジネスについて』
2012年までの日本のソーシャルビジネスといえば社会問題解決型・社会貢献型が一般的だった。これは例えば障害者雇用の問題だったり、ホームレス支援の問題のように一言で多くの人がその社会問題性を理解できるようなものが多い。
ただ2013年となる今年はその型にははめ込まれない次の感性の次元となるソーシャルビジネスの概念が顔を出してくるように思う。
一般的にいわれるゆとり世代というのはこれは、「感性の世代」だと僕は思う。これには2つの側面がある。一つはどんなに頑張ってきた人間でも「ゆとり世代だから」という一言で育ち、今まで以上に自分たちの世代について、自分について一人一人が向かい合った世代であること。2つめは今までの日本社会が創りだした幸せへのステレオタイプが崩壊し、信じる先を全体としては見失った世代だということだ。
そんな世代がつくりだすソーシャルビジネスの概念として次の3つが2013年登場してくるのではないかと思う。
1つ目は漢方型ソーシャルビジネスである。これは従来の社会問題型が西洋医学における薬のように対象を明確化して解決していくのに対し、漢方のように一言で何にきくかは絶対的に明言はできないまでもじわじわと社会をいい方向にしていくより地道型なソーシャルビジネスとなる。
2つ目は予防医学型ソーシャルビジネスである。これは現在において殆どの人が気づかずにいる、又は気付こうとしていない問題やこれからこのままでは問題になっていくことを先取りして、それこそ予防医学のように予防するために活動していくソーシャルビジネスだ。
3つ目は社会構造型(宣言型・政治型)ソーシャルビジネスである。これは常識を覆す圧倒的な専門性と先見性、フォーラム形成力によってこうやって社会構造を構築し社会構造を動かしていくと宣言し、社会を動かすソーシャルビジネスである。これら3つのソーシャルビジネス型は従来の型以上に誰もができることを誰もできないぐらい継続する、圧倒的な継続力。自分しかしないことを圧倒的にし続ける継続力。現場の中で行動し続け、高い先見性ななかで行動する力が必要といなってくる。

そうして従来型とこれらの3つの型が社会にでそろってこそ、はじめて日本の社会構造は次の形成へ進化する。

先ずは、ソーシャルビジネスの古いカタチの概念から次の広がりを多くの人々が持てるようになり、そして従来型が円熟期を迎えた時、次なる3つの型を支援し、支えることのできるソーシャルビジネスバンクを形成していくことである。

従来型とこれら3つの型が融合してつくられていく社会が非常に楽しみでしょうがない。

【しつけ教育からの脱却、子どもの成長を見守る種まきを】

親子スポーツ教室の代表挨拶より http://deporu123.jimdo.com/

親子スポーツ教室ではスポーツを通じて子ども達が自分自身で何かを得られるような、スポーツの場だけでなく、スポーツ以外の場でも自分らしく輝ける、総合的な力をつけていきたいと考えています。

親子スポーツ教室の取り組みを教育という視点で考えた場合、それは強制的に押し付けられた「しつけ」であってはいけないと強く思います。

「しつけ」というものは子どもが受け手になり、親、先生、指導者が主役となってしまうだけでなく、一方的な学びになってしまいます。そのことは萎縮した子どもや人の顔色を伺う子ども、あるいは規範には従えるが自分では判断できない子ども達を育てることになります。考えるということを放棄してしまった子ども、一見いい子でありながらもその内側には陰湿さを隠し持つ子どもが育っていきます。

そうではなく、あくまで子どもが主役であり、「褒める」「叱る」という万能薬的な「しつけ」というものに指導者は頼るのではなく、指導者も子どももフェアで正直であるという関係を構築していくことで、子ども自身がその「場」の空気を感じ、それに合った態度・行動ができる子、知ることからそれを応用して自ら考え、つくることができる子どもを育てたいと思います。

 

ただし、子ども達のそれが完成するのは、ずっとずっと先です。もしかしたら大人になった遥か先かもしれません。ただ、完成するのは先ですがそのための種まきと水や光を加えていく場のひとつが親子スポーツ教室であり、大人の役割です。そしてここで大人の役割として最も大事なことは焦りすぎないこと、信じ想像し続けることです。

 

大人側に必要なのはとてもゆったりとした時間間隔です。今の子どもの状態をみながらも常にその子の未来を想像し信じ続けてあげてください。それを続けていくことで段々と子どもと接していく中で、5年後10年後の子どもの姿のイメージ図が入ってくるようになると思います。

そして子どもが成長していく過程の中で、時には混沌としたプロの世界でいうスランプのような時期があるかもしれません。〈何をやってもうまくいかない。こんなはずではないはずなのに。〉そこに大人が「もっと頑張りなさい」「努力が足りない」という「しつけ」という化粧を施せば一時的には良くなるようにみえるかもしれません。

 

でもその繰り返しがうみだすものがスポーツ界でいう「燃え尽き症候群」「バーンアウト」というものや、いわれたことしかできない子ども達、自己肯定感の枯渇した努力嫌い、はぐれものとなる子ども達です。

なによりも子ども自身が、そこに大人が口をだすことで自分自身を嫌いになってしまう、その時に関わっているスポーツのことまで嫌いになるという危険性さえもあります。

「しつけ」という世間に向けてする化粧は教師や親という大人にとっては一見、都合の良いものですが、子どもの人生ということから考えるとそれはひどい方法ではないでしょうか。

 

私たち大人の役割は、「しつけ」という化粧を子どもに施すことではなく、彼らの中に眠っている可能性を信じながら、子ども達よりもゆったりした時間に耐え得るその特性をフルに活かしながら、彼らの成長をじっくりと見守ることです。

どんなに成長のスピードが遅い子であっても、急に急成長する時がおとずれます。ずっと出来なかったことが急に「」になる時がきます。古い教育では才能がないとされていたような子どもも、大人が「しつけ」を手放し、才能の種まきとそれを待つためのゆったりとした気持ちでお互いにフェアで正直な関係を構築していけば、その子らしい才能が育っていきます。成長が遅い子の中に、これからの社会を変えていく力を持っている子が必ずいます。子どもに眠っている種の芽が目覚めるのを「待つ」こと、それこそが大切なことです。

 

ただし、自由性を履き違えて「放任」という形で手をこまねいていてはいけないのは当然のことです。その子、一人一人にあったスピードで様々なことを一度にではなく、一つ一つ丁寧に教えていくことがとても大切なことです。

 

例えば、親子でテレビに紹介されたトレーニングを家で毎日続けていこうと取り組んだとします。

 

最初は楽しそうにやっていたお子さんもすぐに飽きてしまった。子どもからはしなくなってしまった。

 

この時、一般的な大人の対応は大きく2つに分かれます。

①    無理やり続けさせる

②    「いやならやめなさい」と叱る、怒る

 

こうした感情・対応は「待つ」ことを忘れ、自分が子どもだった頃に受けたかった教育ではなく、今の自分が受けさせたい教育をしている方に特に多くでやすいです。

 

子どもからすれば、いやいやながらやっていては効果が薄いばかりか、そんな気持ちで「やらされて」いれば子どもの本来あるべき「自由」な考え方や選択の仕方まで失っていきます。

 

「放任」と「自由」は違います。そしてもっとも私たちが大切にしている「自由」は発想の自由さです。

子どもの「発想」、そこから考えること、感性、感覚は私たち大人よりずっと優れています。だからこそ子どもの感性、感覚といった子ども達が私たちより優れているものを認め、ゆっくりと吸収しながら子どもとともに成長していくことが大事ではないでしょうか。

親子スポーツ教室では、子どもが、家でする日々のトレーニングに飽きてしまった時、「待つ」という対応をします。そのうち子どもが「やってみようという」日が来るのをずっと待ちます。そしてその日は必ずやってきます。そしてもしかしたらまたやめてしまう日が来るかもしれません。でも、その繰り返しが大切です。その繰り返しから生まれてくるものが、本来の子どもの成長と才能を徐々に引き出してくれます。

親子スポーツ教室でのトレーニングの結果は、子ども達の運動会、試合での成績、日常での姿勢、授業態度等、様々な場面で感じられることだと思います。

しかし、その結果の前に子ども達はトレーニングそのもの、努力し日々成長することそのものに、親子スポーツ教室での教室そのものに「気持ちよさ」「心地よさ」を感じるはずです。

気持ちよさ」「心地よさ」を感じられるまでには、やったりやめたりを繰り返すかもしれません。その感覚、選択は子ども達のものです。まわりにいる大人がどうこういって、決して変えるべきものではありません。その感覚、選択の尊重こそ大事なのだと私たちは考えています。

 

大人は環境を整えてやることと待つことしか出来ません。この環境を整えること、待つことを親子スポーツ教室ではスポーツ科学の力を借りながらも全力を持って対応させていただき、少しでも子どもが早い段階から「気持ちよさ」「心地よさ」を感じることができる場作りに努めさせて頂きます。

 

お子さんを「待つ」間に、お父さんお母さんも一緒に親子スポーツ教室に参加する中で、家でお子さんとともにトレーニングに取り組まれる中で「気持ちよさ」「心地よさ」をお子さんと共感共有していただけたらと思います。

 

【努力とモチベーションの先を目指して】
最近、子どもに努力やモチベーションを強いるのを強調している風潮があります
ただ僕はそこに教育・人生の本質のゴールがあるとは思えません
多分この先に本物の天才は生まれてこない
自分のイメージ通りにできる感覚レベルを身につけた時できる楽しさからそれを無我夢中で繰り返す

そこに努力という言葉もモチベーションという不安定なものもない

感覚レベルにある自己の追求が更なる高みと進化し導く

「アレっ何かスゴい・・・」

何故かイメージ以上にできてしまう感覚が子どもを自己の追求に魅了する

ここにポイントをおくメゾットのひろがり、それができる指導者がこの先必要なのだと思います

今だけでなく、未来を見据えた地道なメゾット

子どもの今のモチベーションや結果ではなく、
5年後10年後を見据えて常に指導できるメゾット、指導者

この追求、そしてそのための社会システムづくりを多角的に複合的にしていきたい

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【才能について】

モーツアルトは幼少のころから生涯ずっと頭痛に悩まされていた

モーツアルトの数々の名曲はその頭痛を少しでも和らげる音楽をモーツァルト自信が追求していく過程で生み出されたという話がある

僕からみればモーツアルトの一番の才能は絶対音感や音楽的センスなのではなく彼を生涯苦しめた頭痛だった思う

「もしモーツアルトに頭痛がなければここまで時空を超える音楽は生み出されなかったのではないか」そう思う時がある

人は誰しも自分の生涯を苦しめる何かを持っている。

でもその何かと真剣に向き合うことを10年以上続けていき、しっかりとそのことを飲み込み、自分の長所をただひたすら伸ばし、自分しかしないことを圧倒的にできるようになった時

人は欠点からでさえ才能を超える才能を生み出すことができる

芸術家でも経営者でも語り継がれる人というのはただ才能があるだけでなく、欠点から才能を伸ばすことができた人のような気がする

自分の生き方でも、子ども達と接することでも常にこのことを意識する
今の社会に、
今の教育に、
必要なこととはこういったことのような気がする
少しでも欠点から才能を伸ばすことができる人を増やせるように頑張りたい