宮崎要輔ブログ

社会の変化に対して一本歯下駄ができること

運動会シーズンのこの二ヶ月は全国色んな地域から相談のお電話をもらいます。
3日に一回ぐらいで1時間ぐらいの電話をいただきます。

それほど、社会の変化と子ども達の変化、それにともなった子ども達の身体の変化がある中で病院や学校、様々な教育現場にその変化を伝えきれていない自分の歩みの遅さに申し訳なさでいっぱいになったりしています。

僕の場合は幼児、小学校低学年、高学年、中学生、高校生、20代、30代、40代、50代、60代、70代と全ての世代で6年以上毎週みさせていただいている方がいる、一人の6年間の変化をこれらの世代でふれているというのが財産になっています。

そうした異なる世代間で同じトレーニングをしていく中でそれぞれでの会話からまた次のトレーニングが生まれています。

そうした財産が今まで頑張ることに意味を見出せなかった子どもが「最高の笑顔」に変わる瞬間をみせてくれます。

80代から健康ではなく成長を楽しんでいく環境をつくってくれます。

 

そしてやっぱりそうした社会の変化の中で全国各地でそんな環境をつくっていけるアイテムが一本歯下駄だと思っています。

下記のような事例には一本歯下駄GETTAが本当に役立ってくれますし、大人の腰痛には後ろ一本歯下駄MUSASHIが活躍してくれます。

………

宮崎要輔さま

先程は、ご丁寧に申し込みメールの返信をくださいまして、ありがとうございました。

今回申し込みさせていただいた8才の息子は、
保育園の時になかなかジャンプができなかったことから、
足に障害がないかどうかということを先生が心配して、
念のため医師に診せるように言われました。
診てもらったところ、うーんと考え込み、内股ではあるが個性の範囲でしょう、という診断でした。

本人はのんびりした性格のせいか、あまり外で遊びたがらず、
小学3年生ですが、自転車もいつかは乗れるだろうという感じで
学校の体育の授業や運動会でも、かけっこが速くなりたいとはそんなに思っていないようでした。

今日、運動会がありまして、
速く走れるようになりたい、練習をしたい、と、
彼が希望し、インターネット検索で親子スポーツ教室さんのサイトにたどり着きました。
本人がやる気になっている今がチャンスなので、
教室をきっかけに、身体を動かす楽しさを味わってほしいです。

体験教室を楽しみにしています。
こちらこそどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

では運動会の歴史について過去にフェイスブックで紹介させていただいた内容を掲載したいと思います。

一本歯下駄を履く最初の理由は運動会と言う人も多い中でぜひ、運動会の歴史も見ていただけると嬉しいです。

 

 

運動会

昨日、一昨日が運動会だったという家も多かったと思います。
世界を見渡すと競技会はあっても大玉転がしや借り物競争、パン食い競争などがある運動会は日本独自のもののようです。

世界各地のコミュニティー形成において日本の運動会が参考になるのではという動き、ヨーロッパのスポーツ文化の良さと運動会の共通性をみていくこうという動きがあるように

運動会は人々の関係性、日々の目標、喜怒哀楽の共有と地域づくりのヒントが見え隠れしてきます。

ということで作家の太宰治の文章と明治の運動会のはじまりからその歴史について共有したいと思います。

〈着飾った娘たち。あちこちに白昼の酔っ払い。そうして運動場の周囲には、百に近い露店がぎっしりと立ちならび、それぞれの家族が重箱をひろげ、大人は酒を飲み、子供と女は、ごはんを食べながら、太陽気で語り笑っているのである。古代の神神の豪放な笑いと達な舞踏をこの本州の僻陬に於いて直接に見聞する思いであった〉
太宰治『津軽』

1885年(明治18年)初代文部大臣森有礼は横浜の外国人居留区でみた陸上競技大会に発想を得て、「運動会」の開催を強く奨励します。

新しい学制が施行されて10年程しか経っていない当時、多くの学校に運動場はなく、いくつかの学校が合同して寺や神社の境内を借りて運動会を開催していきます。
境内で開催するので檀家や氏子といった人々、地域の人も参加できるようにしなければという考えから、「パン食い競争」「大玉転がし」「スプーンレース」といった種目が発案されていきます。
さらに、寺や神社で行なうならば夏祭りや秋祭りの時期に合わせようということになり、盆踊りや豊年満作踊りが加わっていきます。
「地域住民参加型」で地域の発想で育っていったのが運動会のはじまりでした。

住民参加型の運動会は明治期のさまざまな事情の中で「遊び心」とともに地域で育っていきます。例えば自由民権運動が盛んな時期に政府の弾圧で集会が禁止されたなか、運動会で集まることは禁止されていないということで「壮士運動会」となるものを開催し「圧政棒倒し」「政権争奪騎馬戦」といった政治的メッセージを含んだ新種目が編み出されていきます。

「地域の人々も参加できるようにしなければ」ではじまった運動会はスポーツマンからスポーツがあまり得意でない人、子どもから大人まで多くの人が参加でき、またその空間を共有できる場所としてのこっていきました。

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