建築と一本歯下駄

哲学者、数学者、脳神経学者、芸術家、音楽家、建築家とあらゆる分野において探求や追及の先にあるものとして昨今、今まで以上に身体をキーワードとする人が近年増えてきたように思います。

そしてそうした人々の身体の追及の先に一本歯下駄にくる人が増加中みたいです。

荒川修作さんがのこした荒川さんがのこしたものをのこそうとしている方々の文章を読んでいくと一本歯下駄を通してこれからしようとしていることと荒川修作が思い描いたことが本当にマッチしていきます。
荒川修作の思い描いた感覚と自身の中にあるこれからの行為をクロスさせていくことのイメージを重ねていくことが今回の研究会参加の個人的なテーマでした。
荒川修作ののこした考えには
人間(わたくし)の世界をつくりなおす
人間(わたくし)がわたくしとしてたえずリニューアルしていく
建築する身体という在り方でリニューアルしていくというのもあり、ここ数ヶ月はとくに荒川修作と自分の探求分野と感じていることが交差していきます。

荒川修作研究会で聴講した話を振り返れば振り返るほど彼の法則や思考法が本当にクロスするところがあり、何故あいにいかなかったのだろうかという気持ちが高まります。

以下メモ
…………
新しい建築をつくるということで
新しい意味をつくりだす
まったく思いもよらないようなことをする
今までの社会や多くの人々によって
共同でつくりあげられてきたそれまでの行為を覆す
意味は後(あと)から生まれてくる
繰り返すことで意味がおびてくる
人間にはそれは無理だという人がいるが
私たちは人間を何処まで知っているのか
今、まだ「できる」と思わなければならない。
I-ing=私(わたくし)する
本来名詞であるものを動詞化する
私は実態ではなくプロセスする
私(わたくし)するプロセス
「建築する」とは、こういうことなんだよ。
「わたくし」とpronounceしたときに
浮かび上がってくるものがあるだろう。
その浮かび上がってくるものを
なんとか外側につくりあげよう
構築しようという行為なんだよ。
取り替えがきかない自分(わたくし)というものを
それを外につくってしまおう
懐かしいということが嬉しい
わたくしとわたくしをこえたものを同時に感じることで懐かしさがある(実感すること)
それが共同性
わたくしでありながら共同性を感じとる
知覚と運動の間の関係性を結びつける
赤ちゃんにとって世界全体がひきづられ
意味に飢えて行為する
世界への行為で意味を学び獲得する。
世界の意味と関係性を獲得する。
気持ちの同化から推論して他者としての私、他者としての私をするプロセス

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