あの夏の日の少年

永遠の野球少年へ, 宮崎要輔ブログ


【あの夏の日の少年】

おじいちゃんっ子だった中学一年生の彼は毎日のように朝10キロを走ってから学校に行き、
強豪チームでの猛練習の前後も10キロ以上走ることをかかさず誰よりも練習をした。

彼の口ぐせは「僕が王さんの記録を塗り替える選手になる」だった。

彼にとって王貞治はアイドルであり、尊敬の対象であり、目標であり、何よりもライバルだった。

小学校の時も中学校の時も王選手を自身のライバルとしてどうしたら彼を超えられるかをひたすらに考えて生き、彼はストイックに目の前のことに取り組んだ。

高校生になってからも周りの高校球児が同年代の高校生達をライバルとしている中、彼は王選手を超える選手になることを目標に王貞治をライバルとした目標を常に見失うことなく歩んでいった。

ただ、その、周りよりも常に上の目標を持つということは若い彼にとって傲慢さとも隣り合わせでもあった。

ただ、それ以上に彼はストイックに努力を重ね、球史に残る結果を出していった。
多くの野球ファンが王さんの記録を抜く可能性を彼なら持っていると感じていた。
ただ、彼の高校最後の年のドラフト会議において彼が尊敬し、目標とし、ライバルとしていた王さんにクジさえも引いてもらうことが叶わなかった。
王貞治という存在が彼の中で別の存在となった時、「王さんを超える選手となる」という少年時代からの彼の強い思いが空虚となっていった。
この大きな目標が空虚となる喪失感は彼にしか理解できないものなのかもしれない。
プロ生活においてホームラン王やチーム優勝という目標は、少年時代から目標を持ちストイックに歩んできた彼には本当の目標とするには余りにも難しいものだったのかもしれない。
目標が空虚となる所からプロ生活をはじめた彼が陥ってしまった最もなことは晩年の落合博満選手が辿り着いた感覚を20歳手前で辿り着いてしまったことだった。

彼は20歳手前の時期に既に「この感覚さえなくさなければホームランが打てる。」というものを持ってしまっていた。

鍛えるよりも整えるように、感覚の標準をあわせることだけを大切にし、そのリズムをシーズン中一定以上に崩さないようにすればプロとして活躍できた。
「王さんを超える選手となる」という目指す道を喪失した彼にとって鍛えることよりも整えることで十分だった。

この時にライバルは王貞治というものが彼の中で大きく残っていたのならば彼のあゆみは違ったように思える。

こうした個々の目標の喪失、特に彼のように少年時代からストイックに持っていた目標の喪失が起きた時どういう対応が必要なのかを考えることがこれからの社会において大きな課題のように思う。